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災害: 寄り添うとは

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前質問 https://gaia-shamballa.xyz/blog/?p=47122   で挙げられていたセウォル号事件を調べました。
船長は責務を怠ったばかりか真っ先に救助船に乗り込んでいた・・

大川小学校の当時の校長も事故後の検証に立ち合おうとせず避難所から遺族が向かうのを見送るだけだったといいます。

「責任を取らない人間は責任を取らなかったといって苦しむことはない」
と回答にありました。
そして自覚がないからこそ結果として自己破壊を起こす。

訪問した北方領土で戦争して返還とか発言し、党から除名された人などはまさにこれを体現してると思いました。
だからといって被害や傷を負った人たちがそれで報われることにはなりません。

公害や薬害そして自然災害で被害に遭われた多くの人々が企業や行政、自治体や国に不信感や不満を持つ背景には、加害の責任の自覚がない故の対応の杜撰さ、不誠実さもあるのだろうと感じました。

春に、縁あって水俣病患者の相談や支援をされている方のお話を聴く機会がありました。
国の施策に有益な企業は守られ被害者は切り捨てられていた過去を知りました。水銀を垂れ流したチッソ(JNCに社名変更)は収入が乏しく貧かった地元から多くの人材を雇用しています。身内がチッソ社員だということで水俣病認定審査も受けたがらない人も多く、また同じ症状でも認定され補助金を受けられる人もいれば却下される人もいたりで被害者同士の間の争いごとも多いそうです。争いを恐れあるいは自分が水俣病だと知られたら差別されるのではないかと恐れて声をあげられない人がまだまだ多くいらっしゃることを聞いて心が沈み、しかしそれでもその人たちに寄り添い声を汲み取り支えになろうと努め続ける人もあることに元気付けられもしました。

この国のトップの人たちは口でこそ「寄り添う」と言いながら、実際の対応はといえば真逆に近く、相手の気持ちを逆撫でしたり尚更に傷つけるようなことを行なっています。結果彼らが自己破壊にいたるのは自業自得ですが、自覚がない無責任な対応を取られ続ける人々の立場になってみれば全く公正ではなく、そこにどうしても違和感とわだかまりを引きずってしまいます。

政府の矛盾した対応をみるにつけ「寄り添うとはどういうことなのだろうか」とずっと自問していますがこれといった答えは見出せないままです。

災害から立ち直るのに一番大事で時間のかかるのが心のケアだと今国会の東日本震災に関する審議でもあげられていました。
被災者や被害者に本当の意味で「寄り添う」とはどんな形で示されるのか、

シャンバラではどんな事故後の物理的心理的ケアが施されているのでしょうか?
(現トップには望むべくも無いですがせめて真っ当なケースを知って希望にしたいと思います。)

A. ええっと、それがあってシャンバラでは選挙でえらばれる政治家という職業は廃絶しました。どうしても世襲体質になるしそれを分けても選挙の時だけの口約束で契約が成り立たないのが政治家という職業。日本もそのうちに政治家になりたがる人間がもっとゆがんだ形になるかもしれません。

さて、それでも行政はあります。その行政から見た事故後の物理的心理的ケアについてはまずオープンにすることです。つまり情報が全く外に出ないことが一番の問題です。

日本では災害が起きて県外に避難させるときはバラバラにします。固まると訴訟が起きるからという非常に単純な理由です。かつて戦後ソ連に奪われて北方四島から本土に避難してきた住民が集団で最果ての地をあてがわれました。あまりの過酷さに集団で政治的な動きを見せてからこういうやり方を始めたみたいで戦後70年以上たってもやり方は同じ見たいですね。

知らないから何を訴えているかわからない。今はネットがあるからそういう情報をもっと共有することが一番です。みんなが自分たちにつらさを知っているということこそが心のケアの第一歩でしょう。

かくさない。このブログでもかつて上げられた避難所での性的被害もそうです。まず正直にすべてをさらけ出すことです。またはすべてを知ろうと周りも耳を傾ける。そういう場を設ける。情報共有すると同じ被害は起きずらいものです。特に臭いものには蓋をする立派な背広の人たちには理解できないことです。彼らに理解できないことを前提にいかに彼らを利用するかを考えましょう。その時少しは役に立つのだと思いますよ。

 

平時人間についての回答についてですが、私はずっと平時人間は有事の時こそパニックになるけれども平時にはしっかり対策に当たられるものだとばかり思ってきました。
違うのですね。
平時でもマニュアルを無駄と感じ心の準備も苦手ときいて愕然としました。
もしもトップが平時人間ばかりで組織されれば有事に関しては事前対策から即時対処・事後対策に至るまで最悪の事態を招きかねなくなります。

本来ならば行政トップには必ず有事人間をおくことが望ましいと考えられますが、

トップが平時人間で占められる危険のないようにするにはどうすれば良いのでしょうか?法的規定などで予防措置をとるなどが有効なのでしょうか?

A. まず平時人間か有事人間かの振り分けができることです。20歳までに(シャンバラでは15歳まで)緊急の事故や財政的な危機を経験している人は有事に対応できます。

有事タイプのようで平時に何もできない人間が有事にもっと何もできないなんてこともこの世にはありますwww特に有事の時にパニックになるタイプがトップになるとまずは逃げます。

「おれは知らない、わからない」という人がいたらまずは期待はしない。よく日本の政治家や官僚がわいろなどで国会追及されるときも「覚えていない」といいますが意外に当たらずとも遠からずかもしれません。パニックして覚えてない。人選ミスです。

話を戻しましょう。その人の20歳までの生活や環境をぜひ調べるようにして下さい。それが調査できないなら生年月日でも出ます。生年月日で割り出す方法がELBで紹介していますが、たして1があると有事タイプだといわれています

 

以上です。
ずっと質問しようと思いながら時間がかかりました。

広域災害を想定して先手に対応のきく人材集団ならおそらく外交や経済面でもリスクを先読みして最善手を早く見出す能力にも長けるのではないかと思います。そんな人たちがトップに立ってくれたら!と強く妄想すれば現実化しやすくなる今なら望みもあるかしら。

真実を知るのは時として苦しいけれどそこには必ず救いになる事柄も含まれていて・・辛いで終わらせず何かしらの望みにつなげられるように感覚を研ぎ澄ませて行こうとしています。

A. ええ、ぜひそうしてください。応援しています

質問をありがとうございました

 

コメント

  1. フランソワ より:

    >日本では災害が起きて県外に避難させるときはバラバラにします。固まると訴訟が起きるからという非常に単純な理由です。
    >みんなが自分たちにつらさを知っているということこそが心のケアの第一歩でしょう。

    避難所には地域ぐるみで移ることが地元のつながりを守るためにも大事だと言われているのに、わざと分散させていたとは。臭いもの(訴訟などと言う面倒なこと)には蓋と考えるなら、被害を受けた人の想いなど理解できないのも当然か。
    今日も国会で、日本語能力を持たず自分を守る術を持たない外国人技能実習生を東電が福島第一原発の除染作業に受け入れているのはおかしい、と指摘されていました。放っておくといろんな状況で誰もが危険に晒されかねないのが今の行政措置だと、まずは疑ってみたほうがいいかもしれません。

    そうした行政者に対抗できるのが「情報の共有」ということですね。
    情報をオープンにして、
    情報を隠さない。
    みんなでデータ共有することで再発を防ぐ。
    そしてその上で(理解をしようとしない前提で)行政や為政者をいかにうまく利用するか知恵をしぼるまでつなげていく。

    「おれは知らない、わからない」
    ってまさに数年前までの私そのものでした。(汗)
    それでも変えようと思えば変われるものなんだと実感します。
    他の人の意見を聞くことで気付かされることも多いです。
    人との出会いって有事に関しても大事なことなんですね。

    20歳までに緊急の事故や金融危機を経験した
    ELBで習った生年月日数占いで1がある
    上記の人が有事タイプなのですね。
    参考にします。

    前回質問共々に
    丁寧な回答をありがとうございました!

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