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いじめについて3

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ベスさん、ブログに関わるシャンバラの皆様、リアルの皆様、いつも大変お世話になっております。今週の課題「いじめ」について、どうしたら解決するのか?考え続けましたが答えが出せず、質問ばかりになりすみませんが、どうぞ宜しくお願いします。

以下の質問は、いじめへの対処が行われている前提で教えてください。加害者と被害者双方に話を聞き、謝罪させ、加害者に今後くりかえさないためにどうするか考えさせ、保護者にも連絡する、といった対処です。

たとえば小学校1年生の4月、まだ顔を合わせたばかりの6才メンバーのクラスでは、いじめは見られません。でも1年生の終わりごろには、いじめが見られます。いじめる子は、最初は誰かれ構わず嫌がられること言い、嫌がられることをします。被害に遭った子の反応は、大きく2つに分かれるように見えます。

①本当に自分に自信があって、加害者の言動を受け流せる子
②自分に自信が無くて、大きく反応する子

Q1
②は加害者とぶつかる回数を重ねるにつれ、いじめの関係に発展しやすいと感じます。これは何故でしょうか?

A. このブログではいつも言っています。日本人のいじめは念エネルギーの奪い合いなのです。だから取られるのを止める術を知らない子はただ奪われるだけになります。そこに引き寄せの術まで使っていじめの関係を発展させます。また奪う方も自分が人から強奪している意識も知識もないのでただ奪うだけなのです。

ところが人のエネルギーを奪っている人は・・・そう家でそのエネルギーを奪う人がいる。それが大概家族なのです。家で奪われるから教室で奪う。どちらも奪っている自覚はありません。そこがこの問題の深いところです。もしみんなその構造がわかったらきっとそんな人のエネルギーを奪うなんてことをしないだろうし、見ている同級生も奪いあいの構造を知っていたらその人間に近寄らないか「A君がB君のエネルギーを奪っている!」と担任に訴えるでしょう。悲しいかな担任も知識なし。

早くこの構造を自覚しないともっとエネルギーを奪うことになります。死ぬほどにエネルギーを奪われると生きる生命エネルギーもなくなります。何の罪もないのに生命エネルギーを奪われながら何もできないことになります。

 

たとえば皆より行動が遅かったり、皆より出来ないことが多くても、自分を責めず好きな絵を描いてニコニコしてる子は、皆に助けられたりします。

だから、いじめの被害者に落ち度は無いと思ってます。いじめられるかどうかは本人の能力に関係ないはずです。(そもそも能力の差でいじめがあってはいけないですけど!)

Q2
この考えは根拠がなく自信がないのですが、本人が自分を責めるか、責めないかが大きいと感じてます。考えすぎず物事をそのまま受け止める子は、被害者になりにくい。いじめる側も、いじめられる側も、物事に対して感情反応が大きい・・・このような要素が、いじめに作用するとしたら要因が知りたいです。シャンバラでは、どのように思われますか?

A.  念エネルギーの奪い合いの中に何も考える余地をなくすことが上げられます。そんなことないです。考えなければならないしそれを見ていた人間はもっと考えなければなりません。自殺まで追い詰めようとした人間は殺人未遂者であり、見て見ぬふりをする人間は共犯者です。何ができるのか?何をしなければならなかったのか?そして次回同じことが起きたらどうするのかを教師が促し決め事を作るべきなのです。そこに隠蔽はもっての他、ましてやいじめられている子を非難するなんて言語道断。

考えすぎず物事をそのまま受け止める子は被害者になりにくいって、それはいい事なのですか?子供たちが自分の意思を相手にぶつけて衝突することは成長することに通じます。しかしいじめは違います。全く成長はない。それが証拠にいじめが無くなっていない。もし成長するなら大人になるにつけなくなっていいはずです。それが中学になったら世界で一番自殺するのは小学校で成長していないからでしょう。容赦ない。シャンバラでは日本人の闇だと思っています。

まずいじめている子に君は今人をいじめているんだと自覚させること。それは間違っていることを諭すことでしょう。これは社会に出た時の学びです。パワハラにあったら労働者として黙っているべきなのか?それとも黙ってやめるのか?それとも間違っていることを公明正大に公表するべきなのか?日本人は互いに忖度していますが、人殺しに加担しても忖度に徹すると、自己破壊を促し一生自分が幸せになることを許さない。常にびくびくした人生を送るスタートが小学校であってはならない。

 

物事への感情反応が大きいことや、自信の無さは才能でもあると思います。自信が無いから、工夫をする。それが時に素晴らしく、成長を嬉しく思います。

Q3
でも不安や罪悪感が大きいのは苦しいですよね。自分を客観的に見て、自分にとって心地よい言動を選択できたらいいのに・・・と思いますが、これは大人でも難しいです、私もできてません。なにかご助言いただけるとありがたいです。

A.  心地いい言動は単語を知らずに英語を話そうとするのと同じでボキャブラリーがなければ無理です。たくさんのいい言葉を集め、人が喜ぶような言葉、人が感動する言葉などの蓄積が必要です。そんな授業はしないのですか?先人たちの素晴らしい言葉もですが、祖父母や両親から聞いた心に残る言葉は生きています。それを発表することはないのでしょうか?たくさんの生きた言葉こそが人の心を豊かにして何事も動じない精神を生みます。それは立派な国語だと思うのですが。作文より大事だと思います。

あなたがそういった言葉を発せられる人間になりたければ早速図書館にでも行って先人たちの言葉集や上司から部下への言葉、叱咤激励の言葉などを学んでください。そして使う。必ず使ってみる。一度使い始めるとこれほど面白いものはないでしょう。周りの人が変わります。ぜひぜひ

 

いじめる子も、いじめられる子も、良い言動を褒めてあげたいと思ってます。どちらの子も、故意も無意識も含めて、迷惑をかけて構ってもらう手段を身につけていることがあります(もちろん、そうじゃないことも)。

いじめられる子に自信をつけてもらいたい、自分を責めないであげてほしい。いじめる子も、崩れそうな自分を紙一重で保ってて、人の話を聞ける余裕がなくて、だからこの子を認めて褒めて、心にスペースを作ってあげないと、余計に反発するだけで言葉が入っていきません。

このブログで時々仰る「必要とされること」、これはとても大きいと感じてます。特に加害者の子がヒステリーで手が付けられない時、「あなたの存在が必要なの」という意図の言葉で、ふっとテンションが変わったりします。

Q4
でも未熟な自分は、褒めることも難しいです。もし他人から褒められることが糧になったら、それは自己肯定感アップに繋がらないと思うのです。本人の成長や自己肯定感に繋がる褒め方、接し方について、ご教示いただけますか?

A. 「もし他人から褒められることが糧になったら、自己肯定感アップに繋がらない」そうですね。赤ん坊ははじめは口を開けていれば母親のおっぱいを吸うことができます。母親にしがみついて這い上がってするものではない。やがて自分から吸い付く。やがて離乳食が始まるとやはり口を開けて食べ物が来るのを待っている。やがて自分の手でつかんで食べ始める。そして手づかみからスプーンなどを使うことを学び作法を学んでいきます。

ほめることは口を開けていれば入って来るようになっています。笑うと喜ばれ、ハイハイでも親に近寄れば「よく来た!」と褒められる。自分で立てば「すごい、すごい」と褒められる。やがて立って歩きだすと「いい子だ!」と褒められる。その連続で成長を促されます。立派に自己肯定感アップにつながっています。言語もそうです。いい言葉を発すればほめる。きれいな言葉なら一層ほめる。心だけではなく言葉にも力があることを信じられるようになるとたくさんの言葉を知りたいと思うでしょう。誉め言葉のボキャブラリーは、ほめられてこそ増えるのです。だっていい言葉を知ると使いたくなるから。それが人間です。

 

以上です。課題、難しかった・・・教育って難しいですね、いじめ問題は簡単に解決しないし、人それぞれ考え方も主義も違うでしょうし。特に親子関係は、子供のためと思った言動が裏目に出たり。いじめ問題を考えることを通して、まだまだ自分は学びが必要だと思いました。また質問させてください、どうぞ宜しくお願いします。

A. 汚い言葉はボキャブラリーが少ない「死ね」「汚い」「消えろ」など70年まえと同じで新しい言葉がないのでたぶん成長しなかったのでしょう。面白い物でボキャブラリーのない子ほどこういう言葉を発します。

日本語は素晴らしい言葉ですが誉め言葉が少ない珍しい言語でもあります。例えば「おいしい」って他にどんな料理の誉め言葉があるでしょうか?「うまい?」それから?「まいう」???wwwでもこれは一番必要な言語だと思いませんか?人の文化で食文化は人類の根底にあるからもっとあるべき。その誉め言葉が成長しなかった日本人はある意味人の評価ができない民族ではないかと思っています。私感ですが。

ぜひいい言葉も作ってください。人を応援する言葉は常に考えていると、きっとそれは生きてあなたの人生を輝かしいものにします。だって人はいい言葉に飢えている。こんな時代だからこそ人はその言葉を求めて集まってくるでしょう

 

質問をありがとうございました

 

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