今までにごくごく稀になのですが、夢の中で、リアルでは技術的に不可能だろう美的表現物(としか言い表せないもの)を見たことがあります。
精巧な溝や段差で造形された幅広い大理石のような彫刻物質を、包みこむように水が流れて回流している装置(水の流れの動きや速さまで計算され尽くしてるようで自然光?の入る広い空間に展示されていた) 有機的な風船のような手のひら大の球体が空間にいくつも浮かび、美しい色に発光しながら波打つように移動して、他の球体に当たっては綺麗な音を放って変色し、また発光しながら移動するというような、空間芸術と音楽と科学技術が渾然一体となったような運動形態を鑑賞するイベント などです。
こうした造形やアトラクションはシャンバラで実際に体験したもの(実在しているもの)なのでしょうか?
A. 地球ではありませんし、アストラル界シャンバラでもありません。きっとほかの星の記憶でしょう
いろんな分野が融合して美に結実しているところに特徴を感じましたし、美を基準にすることで、立体的な思考をより展開させ、関連する分野各々の技術的な発展にもつなげようという合理的精神が通底しているようにも感じました。
ミクロとマクロ、静と動を同時に見るのと同じく、異種分野を同時に捉えて育てていく・発展させていくというところにも、美は貢献しているのでしょうか?
A. 美と究極においてはいません。最高の美は宇宙だとも言われています。それこそ異種分野の同時育成そのものですからね。貢献という解釈だと異論が出ると思うのでとりあえず肯定はしないでおきます。
リアルで一時期美術表現の世界に身を置きましたが、自分が表現するときも人の表現に接するときも、どうしても個人の念というかエゴ(自己主張)の重さが気になりました。
東北の震災後、こうした時こそ美しいものは必要なんだと強く感じたものの、そう感じるほどに自分の至らなさを思い知り、そうしてようやく自分に向き合い始めたわけですが・・・美しさを表現するにはつくづく自分に正直にならないといけないし、自分のあり方そのものが露わになる。突き詰めれば究極は生きる姿勢そのもので美しさは体現できるのじゃないか。下手に表現しようとすればその欲がかえって邪魔になるのかもしれない。 今はそんな風に考えるようになりました。
で、振り返ってみれば、その夢の中で出会った色々な美しいものたちからは、エゴだとか念みたいな重さを感じたことはなく、ただそのものに対して綺麗だなという気持ちを集中させることができたように思います。
いろんな分野の人が協力し介在しているから、作品が周波数の高い安定した状態になるのでしょうか?
あるいは、アストラル界では無駄な想念にエネルギーを浪費せず、ぶれずに自分のエネルギーを注ぎ込むことに成功しているから、純度の高い美しいものが生み出されるのでしょうか?
A. 純度の高い美とは難しい世界です。むしろそんなことを意識せず自分のできることに邁進することを常としています。全員が120%であればいやでもいつも以上の表現がなされるのではないでしょうか?ただ、終わりはありません。それが美です。
質問をありがとうございました
コメント
異種分野の同時育成そのものである宇宙が最高の美。
ほんとだ。
そうであれば確かに貢献という言葉にはならないですね。
ご指摘ありがとうございます。
あの綺麗な造形などは他の星の記憶なのか。
情報として見せてもらってたのかな?
現実レベルでできることをする、ですね。やはりこれが原点ですね。
>終わりはありません。それが美です。
また美しい言葉で〆てもらいました。
ありがとうございました!
こんにちは。フランソワさん。
私も以前、夢の中で様々な不思議色の丸い玉が何個も浮かんでいるのを見ました。私の場合は、川の流れに沿うように浮かんでいました。フランソワさんと同じものかは、わかりませんが、夢の中でそれは、命だと教えていただきました。この質問をみて、その情景を思いだしました。なんとも、キレイなビジョンで。
ありがとうございました。以上、お礼まで????????
おお、こちらこそ教えていただきありがとうございます。
川の流れに沿って命が浮かんでる・・きれいだろうな・・
儚くて美しく浮かぶものってなぜだか心に響きます。
皆さん色々見られてるんだろうな。