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真実を見たとき

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皆様あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今週のお題、「未来への歩みとして真実をみる勇気」とのことでこれはこれからの地球に関してってことですよね…。

しかしミクロな世界で小ちゃく生きてる私です、わ、私のあのこと言ってる!?とドッキリしてしまいました。まさにこのブログに出会ったときのことです。

私は家庭を持ち母となり僅か数年、かねてより幸せな家庭に凄く憧れを持っていたのでそれを実現すべく頑張りすぎていた頃でした。そんな時に発覚したのが旦那の女遊びの事実。しかも結構な期間旦那の嘘を気付かず鵜呑みにしてたのであろう自分。落ち着け自分、となんとか冷静を保とうとしましたが、自分が事実だと思っていたことが実は違ったという真実を突き付けられるというのは本当に絶望的でした。文字通りパニックでした。

今振り返ると、あの時知らなければならなかったのだと思えてます。知ったきっかけは確実に守護霊の導きだったと今なら分かるし、このブログを探り当てるきっかけになったのもそうでした。

そしてそれまで良い家庭を築くことにすごく固執していましたが、その時を機に本来の自分を徐々に思い出し、自分の趣味にも打ち込むようになりました。こだわり過ぎて本来の自分も見失い進む方向もズレてきていた自分の膿出しをしたような感覚、まさに未来への歩みのために真実を見たのだなぁと思うのです。

と、新年早々恥を晒したところで、あの頃を振り返って質問してみたいと思います。

Q.一時はパニック状態にも陥った私でしたが、やっぱりブログでも言われている日常があったので、何度もパニックや絶望しようとも自分を持ち直し続けれたと思います。

私の場合子供との日常にすごく助けられました。ショッキングな真実を知った時のパニック対処法として、次何時に〜がある、と思考を日常に切り替える、時計を見る、というのは効果的な手段として良いと思われますか?

他に良いシャンバラ式パニック対処法があれば教えて下さい。

A. いきなりの脳卒中で体の機能が麻痺し治療後の後遺症や事故で起きた脊損で悲嘆にくれるときの、リハビリにおける障害受容のプロセスがあります。ここでは2つ挙げますがコーンの分類では、

「ショック→回復への期待→悲哀(悲嘆)→防衛→適応」

そして、フィンクの分類では、

「衝撃(ショック)→防衛的退行→承認→適応と変化」

これを見る限り人生に起きたショックな事柄も同じような工程で回復していると思われます。特に災害時においてはこのプロセスを踏まえて公的機関が対処を事前に考えなければならない。シャンバラ式パニック対処法ではあなたがした方法もありだし、昔この方法を提唱していた人もいます。

しかし、もう一つベスにもやってもらったことがあります。それは「何も考えない」ということ。心にふたをするということと違うのは、自閉症状では全く反応すらしないことを指しますが、何も考えないということは笑いもするし泣きもする。そして忙しくすることで何も考えさせないという方法をとっています

なのであなたの言っていることも一理あるのです。時間に追われやがて心と体が一致するときに回復の兆しを感じます。心と体が一致するとは明日の予定を考えるようになった時を言います。

今を生きる。それも何も考えないでひたすら動く。どうでしょうか?

 

Q.パニックになるということは周波数が下がるのでしょうか?絶望の方ですかね?

趣味のことを考えて周波数を上げるというのが、ここでも効果的に思えたのでそうなのかなと思いました。

A. 趣味を推奨したのも上記の「何も考えない」ことの一手なのです。パニックになるということは周波数が下がるのではなく周波数自体は停止した状態です。

鹿やイノシシなの自然の動物たちは捕獲すると暴れます。あれもパニックの一つで実は逃げようと暴れているのでなくあれが本能なのです。反射の連続ですね。当然人間も事故などで完全にパニックになると病院で暴れるのも同じ理由です。

なのでパニックになって周波数が下がり趣味をして上がるというのではなくパニックになって周波数自体が停止状態になり趣味をして活動開始するという工程です。

 

Q.あと真実を知り向き合うにあたっては、まず自分がそれを知ってどうしたいのか、ミクロで考えて良いのでしょうか。地球規模の話でも…?私はきっとそうしてしまうと思います。これは立場上の問題でしょうか?

A. いえいえ、パニックにならないならそれでもいいのです。結局自分であり、家族の無事を考えることでパニックにならずに済む。政治家などが緊急時に国家のことを考えるからすごいと思うのも誤解で、結局自分の立ち位置を心配しているだけですから要は同じです。

 

自分がどうしたいかを考えるとき、私は自分自身のことをよく分かっていないのと本来の自分も忘れていたことに気付き、それが致命的だったと思っています。むしろ全てはそれに気付くためだったのかな?とも。

自分の意思を知るのに一番弊害になったのが、一般的にどうすべきといった考えに自分が捉われていたことや、人から見て恥ずかしくない自分でいたいというプライドなど、常に自分が他己評価の中でしか自分の価値を見出せてなく、ずっとそんな生き方をしてきたツケが回ってきたと思いました。

そしてこのブログに出会って、ひとりひとりにそれぞれの天命があることを知り、天命に沿う生き方をすることで自分が自分であれるということがすごく腑に落ちて、そういれるように日々過ごしているつもりです。

長くなりましたが、真実を知ってその事実に冷静に向き合うためにも、天命に沿って邁進している自分でないと自分の考えを持って向き合えない、と思いますがそういう考えで良いのでしょうか。

A. キンコンカンコン、キンコンカンコン ♬ 大当たり!! ヽ(^o^)丿

 

長くなってしまいましたが振り返って自分の考えを整理できる良い機会となりました。ありがとうございました。

A. 自己分析がされたとても素晴らしい質問でした

ありがとうございました

 

コメント

  1. ma より:

    大当たり!ありがたく頂戴いたします(T_T)
    ブログに出会った頃を振り返った質問なだけに、ようやくここで一区切り、なんだか卒論を提出して通ったような気分です。嬉し〜。回答を読み込んで咀嚼したいと思います。
    何も考えない、ってこれまで一番苦手なことでした。でもまさにあの時は忙しくひたすら動けたのが一番良くて、これまた苦手と思っていた”今を生きる”ということの大切さと清々しさも身をもって学びました。
    一時は絶望しかなかった真実も、今こうしてみると私1人じゃ絶対なし得なかった学びがあり本来の自分らしく生きようとできる今があり、、今や感謝です。このブログのことも知れて本当に良かった〜。あのときもあのときもきっとどなたかにお膳立てしてもらってたんだな〜なんて振り返れる今、本当に楽しいです。
    回答ありがとうございました。

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