こんにちは
ずっと生きてきて、自分でそのように感じてきたものをとりあえず形に残しておきたいと思うようになったので、思うがままに書いておきたいと思います。
タイトルにあるように、あくまでも個人の感想であり、事実かどうかは実際のところは分からないのですが、明らかに個人的にはずっと感じてきたことであるということです。
精神世界の本などを読むと、アセンションだとか浄化とか、いろんな表現があるけど、地球や人類はこれから新時代へ進化していくために、膿を出していくとか、古いものが崩壊して新しいものが生まれていくとか、似たような事が大抵どこにも書かれていると思いますが、
それで、そういったものを読むようになった2010年頃からは、あんまり実感としてはピンときたことはないけど、「そういうもんなのかな」と思って、新時代へ向けて浄化なり、世の中のあらゆるものが一度立ち行かなくなったり、それで崩壊していき、そこから新たな可能性が芽生えて発展していき、だんだん「神の世界」とまではいかなくとも、かなり素晴らしい世界になっていくものなのかなと思って生きてきました。
どこにもそう書いてあるから、実感はしていないし信じもしないけれど、そうなったらいいなとは思って生きてきました。
しかし、ここ最近やっぱり思うようになってきたのは、
率直に言うならば、
「世界はただ堕ちていっているだけ」であり、「世界はただ壊れていっているだけ」なのではないかと思うようになりました。
世界として、地球として、世の中としてそのように落ちていっているだけならば、きっと自分という人間も同様に落ちていっているだけということになるし、自分だけではなく、すべての他の人間たちも同じようにただ堕ちていっているだけなのではないかと思うようになりました。
ただ、それには語弊があって、たしかに、世の中には良くなっていく物事もたくさんあるだろうし、逆にもっと大惨事になるところを大したことなく乗り越えたという事もたくさんあるだろうと思いますが、あくまでも、全体的なもので言った話になります。
たとえば、100落ち続けている世界があったとしても、120くらいの向上も常にし続けている世界であったとしたら、それは全体的に見たものならば、進歩しているといえるし、落ちているわけではないし、未来に希望が明確にあると言えますが、
100落ち続けていながら、80くらいしか向上し続けている部分(落ちている事に抵抗していくもの)がなかったとしたら、それは全体的な結果としては、ただひたすらに止まらないで落ち続けているだけでしかないということになります。
今の世界は、あくまでも自分の感覚でしかないのですが、100落ち続けていながらも、120向上をし続けている前者のような世界ではなく、100落ち続けていながら、80くらい(もしくはもっとはるかに少ない数)しか向上し続けていく力(落ちていく事に抵抗する力)がない後者のような世界なのではないかと思っております。
それで、最近だんだん気が付いてきたように思ってるのは、精神世界とかで、このブログであろうがなかろうが、これまでの古い時代の物事が一気に崩壊して、闇が表に出てくることによって、一見世の中は悪くなっているように見えるけど、実際には人類の意識は向上していっているとか、進歩していっているとか、覚醒していっているとか、光に向かって歩んで行っているとか、そのような説明をしているところが多いのですが、
そこで言っているような、「向上していっている部分」というのは、つまり、100落ちてるけど、120上がっている世界の「120」のことではなく、100落ちているけど、80くらいしか(もしくはもっと少ない)上がっていない世界の「80(もしくはそれ以下)」のことを言ってるだけに過ぎないのではないかと思っています。
100落ちてるけど、120向上している世界では、「悪い物事も起きたりするけど、人類は意識は進歩していってるのだ。覚醒しているのだ」と言っても、たしかに上がっている方が大きいわけなので、そのセリフも納得がいくものであると思っていますが、
100落ちていっている世界で、80(もしくは、それ以下)が向上していっていたとしても、「悪い物事も起きたりするけど、人類は意識は進歩していってるのだ。覚醒しているのだ」ということ『だけ』を説明してるのは、事実であるとは言えず、詐欺と同じことであると思うし、落ちて行っている方が強いならばすべては元も子もないわけだし、本末転倒しているように思ってしまいます。
なんか、実感としてあんまり納得するものがないのは、もしかしたら、精神世界でいっていることって、たしかに部分的には事実であるけど、全体的に見たら100落ちている世界の、80向上している部分の、その「80」だけを語っている、落ちている100はほっといても(触れないというより、もう触れてもしょうがないとこまでいってしまっている)、「80」良くなっている部分がありますよ、っていう宣伝をしているだけなのか?という風に思ってみると、なんだか納得がすべてにおいて行くような気がしてしまいます。
ただ漠然と今までずっと自分で感じてきたことを、言葉として言い表すのはなかなか難しいものなので、分かりにくい複雑な文章になってしまい申し訳ありませんでした。
自分が聞きたいと思っていたことは、実際のところはどうなんだろう?という部分になります。
今まで、自分がずっと感じながら生きてきた、このような話というのは実際のところ、事実としてもそうなのだろうか?という疑問です。
このブログにおいて、シャンバラのみなさま、もしくはその他の存在であっても、100落ちているけど、80向上しているという部分の、80だけを語っておられるということなのでしょうか?
もしくは、100落ちているけど、101以上は向上していっているから全体的には進歩していっているし、希望は持てるものであると思っているし、そのようなつもりでこれまでさまざまなご説明をされてきたのでしょうか?
もしくは、100落ちているけど、100向上していってる力があり、どうなるか分からないといったところなのでしょうか?
もし、100落ちているのに、向上していってるものが100未満だったならば、その100未満の部分だけを語っているのは意味がないことだと思っていますし、騙していることとはっきり言ってしまえば同じだと思っております。
あまり声を大にして語らないけど、もう大前提として落ちていっている部分が圧倒的に大きいということは、みなさま承知している上で、あくまでも落ちていききってしまうまでの時間稼ぎというか、出来る限りのことだけやっておくことによって責任は問われないということなのか、
自分たちにはなすすべが実際には何もないけど、ラッキーがあればいいね!というようなことなのか。
どうせいずれ潰れてしまうことが確実なデパートなのに、従業員にもお客にもそれを伝えないで、最終的に閉鎖してしまう直前まで儲けられるだけ儲けておこうというようなことなのか。
潰れてしまうことを従業員やお客(ブログ読者とか、精神世界を興味もっている人々など)に黙っていながら、「売り上げをあげよう!売り上げをあげよう!今日はこのくらい儲かったぞ!もっと儲かるようにしよう!(言い換えると、覚醒だ!とか、洗脳が解除された!とか、真実が明るみになった!とか、浄化された!とか、アセンションした!とか、天命に目覚めた!とか縄文人!とか能力が開花した!とか封印が開いた!…とか)」と、呼びかけているということなのか。
大日本帝国とある意味で同じようなことをやっている!?
潰れたりすることもなく、本当に総合的に見たときの繁栄を永続的にし続けていく可能性も大いにあるとマジで本気で思っていながら、そのように呼びかけたり働きかけたりしているということなのか。
どういうことなのだろうかと思っています。
だいたいに、100落ちるということがすなわち、一例としては戦争で子供が死ぬということだとしたら、100落ちたことすら帳消しにしてしまい、101以上になっていくような物事など、そもそもこの世にもあの世にも本当に絶対に存在しているのだろうか?というような疑問もあります。
死んでしまった人の命がもう二度と元には戻らないように、一度落ちてしまったものはもう取り返しはつかないけど、そこまで元に戻ることは二度と不可能であるけれども、落ちてしまった範囲内で、せめてこれ以上はもう落ちないように生きていこう、というくらいのことだというのか。
落ちてしまったという大前提のなかで、そのなかにおいての最善だけを尽くして生きていこうということなのか。
つまり、結果的に見れば「ただ落ちていき続けているだけということに違いはない」ということだというのか。
それとも、一度落ちてしまったところにも、いつかちゃんと戻って来ることも出来て、むしろ更にそこを越えて向上していくことができるということなのか。
100落ちているけれど、101以上は上がっていっている世界であるというのか、
100落ちているけれど、100未満しか上がっていくものがない世界であるから、結果的には落ちていっているだけの世界ということなのか。
それがどっちであるか、ということは大きなことだと思っております。
私は後者であると思っています。
どっちなのか、はっきりと教えてもらいたいと思います。
もうちょっと、文章をちゃんと書きなおすべきかと思ったけど、なんか手を入れている内に、だんだん書きたかったことが、思いなどがズレていってしまう様な気がしてきましたので、あえてそのまんまで投稿させていただきたいと思います。
本当にすみませんでした。
A. 本当に長い独り言をありがとうございました (-_-;)
まず、現代の解釈で間違っていることがあります。特にアセンション後の状況です。
例えば奴隷制があった時代は支配する人は奴隷制に疑問を持つ人はいなかったでしょう。フランス革命の時代は王様が豪遊しても疑問に持たなかった。今回もそうです。上級国民の人たちは疑問に思わないものなのです。しかしアセンション後はこういう人たちが疑問に思わない状態が続くと自己破壊が激しく起きます。内閣府にかかわる人たちが今回は個人でも起きています。池袋の人の様に。
政治に無関心な人たちは無関心でいられるから同じ立ち位置になります。だから個人レベルで自己破壊がすでに起きているはずです。
さて、あなたが上がっている下がっているで判断していましたが、これだけの膿を皆さん今まで何十年気が付かずに来たのでしょうか?それがわかっただけなのです。
健康だと思っていた人間がある日癌だと気が付いた時から癌が発生したのではなく、癌はすでに進行していて気が付かなかった時間がいいことの様に感じているだけで、実はそうではなくきがつかなかったことがいけないのです。気が付けば治療がすぐに開始して初期であれば治療し完治だってできる。しかし、気が付かずにいたぶんだけ治療は遅くなることを考えると、今までが下がっていただけで気が付いたから上がる可能性は十分にあります。
まず気が付くこと。それが先なのです。気が付いて悲観するなら初めから知らないほうがいい。しかし、気が付いたということは治りようがあるからであって下がっただの上がっただの言っている場合ではありません。上げるんです。
変わりますか?いいえ変えるんです。
その気概があれば何でもできます。
癌の宣告を受けてショックなだけで、冷静に考えて行動すればそれはよかったことだと後で気が付くでしょう
というわけでいい方向に行っていると解釈します
質問をありがとうございました
コメント
横から失礼します。言いたいことはとてもよく分かりました。
そうですよね。落ちていくとしか見えない世界に思えますよね。
でも 個人レベルではどうですか?
意識したことが現実化するスピードはいかがでしょうか。
とても早くなっていませんか。
見えなかったものが次々に露出されて、自分はじゃあどうしたらいいのか。何が出来るのか見えてきませんか。
そういう小さなことが意識の拡大だと思います。
意識の力はものすごいものがあります。
宗教でも祈りの力が確実に影響力を持っているのは分かっています。
大勢の意識が拡大していくとそれはさらに大きな意識の流れに繋がっていくと思っています。
新しい流れは生まれていますから。
あなたにあきらめてほしくないです。
絶望もしてほしくないです。こんな長文をぶつけようというあなたのエネルギーはかなりなものだと感じます。
私はほんの小さな存在にすぎませんが、個人的に確実に進んでいると実感しています。
だから絶対に「変えられる」と信じています。