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A-2 個人的質問

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Q. 私がブログで質問をする時に、精神世界に通じた紫色の服を着た40代の金髪の女性が時折、私を通して、質問をするように感じます。それから、水色の服を着た20歳くらいの巫女の女性も私を通して、質問をするように感じるのですが、この2人の女性はどのような女性ですか?

A.
わかりません

Q. 楽しいコメントが流れると、笑っている(補足:リンク先削除)に似た女性がイメージできるのですが、どのような女性ですか?

A.
わかりません

Q. 以前、黄金の部屋が視えると質問したことがあるのですが、分からないと言われました。その後、読者が黄金の部屋に入ってきたように感じますが、合っていますか?この部屋はどんな部屋なのですか?古代エジプトと関係ありますか?

A.
わかりません

Q. 私の指導霊はアフガニスタンのカルザイ大統領に似ていますか?

A.
違うと思います

コメント

  1. 宇宙連合のみなさまごきげんよう。
    いつもご丁寧で誠実な
    回答ありがとうございます。
    さて、今回は2、3質問をしたいと思います。
    まずはブル-ブラッドに関して
    質問したいと思います。
    ブル-ブラッドは宇宙連合などモノともしない
    眼中にない・・・というような強者である・・・
    と聞いた事があります。
    そこで質問です。ブル-ブラッドとの関係は一応
    話し合いで解決した・・・と考えてよろしいのでしょうか?
    また、そのような強者を説得するにはどのような
    方法があるのでしょうか?
    連合サイドが我々に知ってもらいたい情報・・・
    国が隠している全ての情報・・・との事でしたが
    警察や官僚、医者などの内部告発や暴露話、
    我々が知るべき真実とは他にどんなものがありますか?
    調べているのですが、情報量がかなり多い。
    そちらも時間が無いと思いますが、
    こちらも同じく時間が無い。
    そこで最も優先すべき情報のキ-ワ-ドを
    2、3教えていただきたいと思います。
    よろしくお願いいたします。

  2. ちきちきましーん より:

    |^▽^)ノこんにちは!
    ★何故、このブログは日本人向けに開設され質問に答えてくださるのですか?
    教えていただけると嬉しいです。
    m(__)mペコリ

  3. 鳳凰 より:

    指導霊はどうしても、カルザイ大統領の顔が視えていました。

  4. より:

    Q.
    「成長を放棄」とは
    自殺(途中放棄)
    進歩しない、見ない、考えない、学ばないなど、このあたりを考えていたのですが
    >「多少の犠牲はつきもの」、「自分が入っていないと安心している人間」
      ↑こちらについては考えたことがありませんでした。
    多少の犠牲はつきもの→その犠牲を受け入れる?(諦める)
    自分が入っていないと安心→自分さえよければいいと、目の前の成長を放棄?(考えるのをやめる、思考停止、チャレンジ精神を失う)
    「自分さえよければいいや」と思う思考について教えて頂けないでしょうか
    どうぞ宜しくお願い致します。

  5. より:

    Q.
    「A-2 地球人の根性と精神性」
    http://ameblo.jp/aromlinea111/entry-12001320470.html
    >今は同周波数同士の連携強化が一番でしょう
    >人のことより自分をまず大事にしてください
    >一つだけ忠告です
    >見捨てられた人たちが決して殺戮に参加している人ではない
    >むしろ殺戮に加担も関係もない人間こそが対象であることを忘れないでほしい
    >特に「人類が助かるためには多少の犠牲はつきもの」などと思った人間がまさしく対象です
    >何故って多少の犠牲の中に自分が入っていないと安心している人間が一番成長を放棄した人間とみなされるからです
    成長を放棄した人間について教えて下さい。
    まず、「成長を放棄」とは、「学びたくない人(人生勉強を拒否)」という考え方でいいのでしょうか
    私自身、何かがあるとすぐ逃げたくなります。もうどうでもいいやと自暴自棄に思うこともあります。
    ですが、どうしても昔から「いつ死んでもいい」と言う人に強い怒りと悲しみと悔しさを覚えます。
    そこまで言い切れるほど、懸命に生きたのかと思いますし、
    いざ死ぬとなると「死にたくない」と絶対叫ぶだろうと考えてしまいます。
    過去世は知らないのですが、自分も自殺が一回や二回でないでしょうし、自分に対する悔やみの感情かもしれません。
    ですが、命をかけて生きておられる方(その思いで本気で取り組まれる)には頭が下がる思いです。
    一日一日を大事にされているのだろうなと思います。
    投げやりな「いつ死んでもいい」と毎日を一生懸命生きるからこそ、「何があっても後悔のない」と思う生き方は別物だと思います。
    ここでいつも思いますのが、それは潔い生き方なのか、這いつくばっても最後まで諦めてはいけないのか
    仮に一生懸命生きていても、チャンスは巡ってくるのだから、死んではいけない、それは自分で回避しなければいけないのか
    突然の事件事故は別としまして、どんな生き方でも、最後の最後まで諦めてはいけないのでしょうか
    それとも腹をくくって「どうにでもしやがれ」と開き直る方がいいのでしょうか
    (腹をくくりつつも、回避できるよう頭を働かせるがいいのでしょうか)
    ↓つづく

  6. 湯のはな より:

    >べスさん
    有り難うございます
    妄想だったら得意なんで、おいしくて元気になるものを差し入れします!

  7. べス より:

    妄想でいいです。上げたい食事をお願いします
    さしいれはサロンでお願いします

  8. 湯のはな より:

    こんにちは(^-^)
    他の方の質問でスタッフさんに差し入れするお話がでていましたが、
    やり方?は妄想でいいのでしょうか?
    あと、もしするならどこに差し入れすればいいですか?
    基本的な質問ですみませんがよろしくお願いしますm(_ _ )m

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