Q.
埋もれてしまったので、もう一度よろしくお願いします。
Q、予行演習の夜11時少し前、シャンバラ私の部屋のソファーに、イケメン栗毛の白いざっくりセーターを着た若い男性が座っていました。あれ?今日は海兵隊もどき礼服ではなかったかしら?
と思い、そしてイケメンぶりに動揺してしまい、その後家族の用事が重なり参加できずじまいになりました。
あれは、どなただったのでしょうか?
A.
返したつもりでした。時々ブログに挙げて消えることがあるので、他意はありません
さて、この人物は部屋を安定させるためにいます
たまたま白いセーターでいます
放置してください
仕事をしているので、大丈夫です
質問を有難うございます
コメント
>みいさん
宗教というものは盲信させ、洗脳し、人を操るツール…
悪魔の女とはすごい言葉ですね(>_<)
びっくりしちゃいますね(*_*)
自分を宗教に預けてしまうのではなく、一人一人がしっかりと地に足をつけ、判断し、生きていきたいものです。
良い世の中になりますように☆☆
あ、すいません。結局何が言いたいのかわけのわからない書き込みになってしまいました(汗)
なんというか・・・ある思想を信じる組織の中に自分が組み込まれると、反対意見やちょっとでも異なる思想を意見するのが、ものすごーーーく難しいんです。
私は昔、「神社はもちろん、どの宗教の寺院でも敬意を持って参拝する。」みたいな意見を行ったら、キリスト教・原理主義者の日本人たちからすさまじい攻撃をされ「悪魔の女」呼ばわりされました(笑)
このような人々が国の政治組織の中にいたら、たまったもんじゃありません。本当にまさしく、「どうして自分のハートでものを考えないのだろう?」って私も思います。
ただ、私の勝手な精神分析では、「厳しい戒めのある宗教」というのは、ある意味、癖になるというか、S・Mでいうところのマゾ的な快感があるみたいなんですよね~。
>blueblue5151さん
本当に憤る事件でしたよね。
たぶん、その社会の中における権力者やマジョリティに流されていたり、根っこのほうで、「民衆が愚民だからこそ知識層の自分が輝く」みたいな、宗教云々の理由とかは二の次の理由になってるような気がします・・・。
一時期、カトリックに傾倒したことがあるのですが、イスラム教と大差ないくらい、キリスト教の教えの理不尽さや、信者の原理主義的なキチガイな思考回路に呆れて、さっさと離れました。
こうした思想が社会構造に組み込まれると、これまた信仰云々より、自分の保身みたいなものが理由になってくる気がします。
なんかね、「いかに自分が立派な信者か」みたいな周囲へのアピールがね、信仰とは別にあるというか・・・。イスラム教徒の多い国に行ったとき、イスラム教もそれに近いなと思いました。(^-^;)
>べスさん
なぜ、宗教を信じ、自分自身を信じないのだろうといつも思います。自分自身も一つの神であると思うのです。
返信ありがとうございます(*^_^*)
>blueblue5151さん
気持ちわかります。許せないのがイスラム教ならこの人たちも学校を襲撃するまで1日3回アラーに祈ったのでしょう。ということはアラーは止められなかったということ。こんな脆弱な神さまにすがるからいつまでたっても幸せにならないのですね。もともとマホメットが信じた意味は違ったのですが、盲信の恐ろしさはこんなところにあるのです
パキスタンで学校を襲うテロがあり、100人の小どもが命を落としました。
ものすごい怒りや悲しみ、何もできないもどかしさ、なんとも言えない感情です。
子どもたちの両親の気持ちを考えるのが辛いです。
犯行をした人間はなぜテロを起こさなければならなかったか、わたしたちも社会のなにがそうさせたのかを考える必要があり、それが世の中を変える第一歩になるのだと思います。
自分の見たもの、関わったものにすべての人が責任を持って関わることができたら世の中は良くなるのでしょう。
質問ではありませんがどうしても、黙って寝ることが出来ず、書き込んでしまいました…>_<…
これで眠れます!ありがとうございます!
おやすみなさい( ´ – ` )ノ