✨シャンバラ への質問は こちら

医: 放射能と不協和音・共鳴

この記事は約4分で読めます。

Q.
「A.図形や音でDNAがブロック+質問変更」


>ブロックすると(遺伝子が変わらないと)蛋白質が変わらず時間という流れに乗れないのです
>よく放射能の被ばくでがんが広がるのもこれが原因です
>この場合は放射能物質が地球の波動に対して不協和音にさせる因子になるからで、当然共鳴させることもできるわけです
>まだ先の話でしょう


縄文人は地球の波動に共鳴していると以前教わりました
放射能物質は、地球の波動に対しては不協和音なのでしょうか

A.
はい、そうです

Q.
核に対する皆の潜在意識(=地球)が恐怖であったり、排除したいという思いが、不協和音になってしまうのでしょうか
(あとは核を使って戦争起こすぞ・・など)
ですから、我々がしっかり「核」に向き合うことで共鳴も出来る・・ということなのでしょうか

A.
はい、そうです

Q.
「医:ミトコンドリアと老化」


>ただし、まえにも書きましたが、縄文人たちはかつてこの地球に巨大隕石が降ってきたときにばらまかれた放射能に当たり、対放射能遺伝子に変化したミトコンドリアを持つのです
>また、次元移動は容易とかではなく、次元移動が可能にさせる遺伝子があり、それもかつて同じに移動してきたからなのです
「核と共存共栄」と教わりました
排除すべきではなく、感謝し尊重する
縄文人といいますと、生きとし生ける全てのもの、即ち、万物には精霊が宿るという八百万の神を信仰していました
縄文人は巨大隕石によって対放射遺伝子を持つようになりましたが、彼らは何でも受け入れる性質だったからなのでしょうか
(常にそういった心だったから、そのように遺伝子変化できた?逆に恐怖や怒り・排除などの心は遺伝子変化は望めないのでしょうか)
こういった心や精神は関係あるのでしょうか

A.
はい、まさしくそうです

Q.
何故、縄文人は、遺伝子変化が出来たのでしょうか

A.
その土地の実、土を食べて生きていたので、逆らうことなく変化をしました

Q.
単にそれだけ莫大な放射能だったから・・ということなのでしょうか

A.
はい、莫大もありますが、それより長期間にわたって放射能にあたっていたからです

↓つづく
Q.
「医:野菜の超微細菌」


>放射能は広島、長崎のころは2回の核爆発で放射能の雨にあたった野菜をみんなで食べました
>たぶん5年は皆さんが驚くほどの数値だったと思います
>ちなみに放射能の雨は日本全国で降っています
>日本海にはロシアが原子力潜水艦の核を捨てています
>四川地震では核ミサイルが埋まりました
>日本でもあらゆる原発が事故を起こしました
「放射能」だけを考えますと逃げ場がないなと思います
ですが、我々は生きて、いい未来(未来の人たちに迷惑をかけない未来)を作りたいです
どうやったらうまく付き合うか・・の方を考えた方がいいのかなと最近思います
病気も原因は自分にある場合が多く(病気によりますが)、最終的には感謝を学んだりします
「あれだめ」「これだめ」と排除するのではなく
その食材にどのように体が反応するか
食べたければ楽しく感謝して食べる
色々な情報を調べつつも、恐怖心ではなく、常にあらゆる角度から考える
意外とどっしり構える方がいいのでしょうか
人間には無限の底力があるように思うのですが、ここには、開き直りと感謝と勉学なのでしょうか
どうぞよろしくお願いいたします

A.
変化に対応する勇気は組織でも難しいと思います
それが食糧という毎日摂取しなければいけないものが変化した時に
人間がその変化を受け止めなければいけない
ということは二つ方法があります
一つは無知で受け入れるも何も逆らわない
もう一つは全てを知って覚悟のうえで受け入れる
縄文人は正直前者だと思うのです
しかし、現代の皆さんは後者であるべきです
知識の大智の時代に生きればこそ、メンタル体を発動して受け入れる
それが必要な時代になりました
無知は許してはいけない
過激ですが、そんな表現をしたくなるほど、これからの時代はいろんな変化を受け入れなければなりません
無知ではなく知性をより研ぎ澄ましてです
そのとき細胞、ないし遺伝子に新たな可能性が目覚めるのです
といってわかるかな?
質問をありがとうございました

コメント

  1. より:

    >といってわかるかな?
    ↓↓↓
    きゃいんww(*ノωノ)キャッ☆
    頑張りますう(はい、とも いいえ とも言わない日本人的返事)
    ベスさん
    医療班さま 誠にありがとうございました
    やっと今回理解を深められたように思います。
    共存共栄とはこういう意味なのですね。
    放射能物質を「新たな友」として向かい入れるべきなのかなと思いました。
    広島長崎を思ったのですが、あの頃は、その日食べていくだけで必死で、調べる・考える余裕がなかったように思います。
    ですから、受け入れるというより、逆らわず必死に生きたように思います。
    現在3.11では情報が錯そうしました。
    選ぶことも出来るし、調べようと思えばいくらでも調べられるようになりました。
    「受け入れ」とは、まず知らないと、受け入れられないように思いました。
    情報に躍らされている状態ですと、自分の軸が定まっておらず受け入れるという状態とは程遠いように思いました。
    仮にこのことが頭でわかっていても、潜在意識が納得するまででないと細胞、遺伝子に変化は難しいのだなと思いました。
    口だけは簡単ですが(他人を騙すのは簡単)、実際出来るか出来ないかは潜在意識という自分が知っている(自分には嘘つけない)のでしょうね・・
    誰のせいでもない、自分との対峙だなと思いました。
    大変勉強になりました。ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました