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A-1 殺意について

この記事は約3分で読めます。

Q.
人間の感情についての質問をさせていただきます。
『殺意』についてです。

私達には「戦いの遺伝子」が組み込まれていて、それをどう解除するのかという事が過去の記事の中にもありました。

「戦い」と言っても、それの目的や規模、原因等は様々だと思います。

今回は、とても個人的な憎しみや追い詰められた者による「殺意」についてです。

この数ヶ月の間に感じた殺意は数え切れないほどですが、せっかくなので、その感情に深く潜ってみようと試してみたところ、とても清々しい気分(似合わない言葉ですが。)だったのです。

罪悪感も無ければ、他の感情も感じない。
そんな自分を怖いとも思わない。

多分、実行してしまったとしても、「目的を終わらせた」くらいの事務的なものしか感じないような気もしました。

ただ、「そんな事をしても何も進まないだろう。」
そんな答えがポツンと残っただけでした。

つまらない結果があるだけなら、殺意自体がつまらないもののように思えてきました。

他者を追い越しても、蹴落としたとしても、口論で言い負かしたとしても、自分だけが有利とか優れているとか。

そんなものが色褪せて見えてきました。
そんな勝利は嬉しくないのです。

誰かによって苦しい状況になっても、それは「現状」であって、「苦しめられている」というのは、私の受け取った印象に過ぎないのだな、と。

今でも、日々酷くなる日常生活の中で殺意を感じる瞬間もありますが、すぐに冷めてしまうようになりました。

激情と平静が同居している感じで、おもしろいものだな、と思うくらいです。

これは、何かに集中する事で、熱くなっていた感情が冷やされた事によるものでしょうか?

このブログで更新されていく記事について考えたり、コメント欄でいろいろなお話に笑っていたり。

仕事や、現状を動かす為に手続きを進めたり、何かと「考える」「新しいことを知る」そんなことでバランスを取ることが出来るものなのでしょうか?

こういう感情を(殺意とまではいかなくても)経験していく内に、「戦いの遺伝子」も上手く利用出来るようになっていくのでしょうか?

よろしくお願い致します。
m(_ _)m

A.
殺意は戦場ではごく当たり前に起きます
だれも国のために戦場に行こうなどと思うものはいません

むしろほとんどのきっかけは自分の家族を殺された、自分が傷つけられたなどの個人的な憎しみの連鎖です

それとこの平和な日本で起きている殺意はほぼ同じだと我々は思っています

まあ、一つだけいえるなら連鎖はしないということですね

なぜ連鎖をしないのか。怪我をうけたら病院に連れていける、警察もきてきいてくれどうかしたら犯人を逮捕してくれるという社会的に守られているからです

戦場でもあなたのような状況なら、すべては簡単なのですが、幼子が両腕を吹き飛ばされて治療もできずに死んでいく姿をみて、何もできない自分を責める代わりに仕返しをする感情なんてものもあります

まして自分に向き合う前に次の家族が殺されると、そんな余裕もありません
しかし、余裕がなくてもできるのです

闘いの遺伝子は確かにあなたの中で芽吹いたかもしれません

しかし、自分と向き合ったことがすべての遺伝子から解除できたと我々は考えるのです

その原動力を人のために使うことになれば、それは遺伝子を埋め込んだ宇宙人にとってはじだんだ踏むくらい悔しいことでしょう

逆手に取る

合気道では殴りに来たエネルギーを使って相手を倒す武道です
相手が殺すほど強いエネルギーになればなるほど相手にダメージを与えます

日本人は今まさにそれをしようとしているのです

どうか、「闘いの遺伝子」を逆手にとって利用してください
勿論可能です

 

いい質問をありがとうございました

 

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