ベスさん、医療班さん、いつもありがとうございます。
メンタル面も医療分野であると信じて、質問させていただきます。
「個人的質問 18.3.30」https://gaia-shamballa.xyz/blog/?p=37050
の内容について、いくつか追加質問をさせてください。
これまでの人生で犯してきた、小さな、しかし潜在意識が許せないと思う行動の数々をリストアップする。(すでに行っていないことも含め)
書きプロもありますが、これは書くことによって潜在意識が過ちを認めたことを受け入れて、自らを罰することが無くなっていく、だからミスも減っていく、ということになるのでしょうか。
それとも書くだけでは意味がなく、何か次のステップがありますか。
A. ???(。´・ω・)????書きプロに贖罪の意識なんてありませんよ。純粋に面白いから一緒にやろう!ヽ(^o^)丿 ってだけです。そんなに深刻に受け止めちゃあいけません。それに罪の意識を再認識するのではなく、自分を解放するために自分を縛っている鎖をまず何なのかを確認するのです。つまりほどくために行うので自分を追い詰めるためでは決してない。じゃないと面白くないじゃん!(; ・`д・´)
どこのMですか?って突っ込まれますよwww
書くという行動は歌うという行動と同じなのです。ただし、音霊だけが闊歩する歌プロに比べて書きプロの言霊系の人にはいままでなんだかおもしろくない!といって我慢していたはず。そんな違う群霊に声をかけて一緒にやろうと持ち掛けるのが書きプロです。いろんな霊がいるんです
面白いことをすると自らの罪を罰することがなくなるのは言えますね。所詮楽しい方がいいではないですか!楽しいことが忙しければ罪滅ぼしみたいな自虐的な意識になりようがない。今日もやったぜ!と自己満でもいいから楽しかったという時間を使うことが大切です。
というわけでごめん!🙇 そんなに複雑なことはしていません。
自分を許せないと思うことは、日々生じているように思います。
これは根本的なところを見直せないから、小さなひずみの連鎖が耐えることがないのかと思います。思い癖、行動の癖を直していくのが地道な解決ではないかと考えました。
子供の頃、男子に生まれなかったことを父親から延々と批判されてきました。テレビや漫画に夢中になって成績も振るわず、「ごく潰し」と言われ続けました。実際親の期待に応えられない、価値のない子供だったのだと思います。言い返せない小学生に、それを言い続ける親も親だといまはどす黒く思っています。
それでもきちんと養ってくれたことは間違いなく、外から見れば本当は問題のない両親なのだと思います。
実際そうであると思いますし、結局自分が駄目な言い訳をしているだけなのだと思います。
たぶん今私が死んでも、悲しむ人は誰もいないとわかってもいます。そしてこうした思考をすること自体「自分が犠牲になればいいという自分への嘘」なのだと思います。
何をしてもダメ、行動すると失敗する、何もしないのが一番安全。
人生のほとんどの時間をそうした考え方で過ごしてきました。
どうせだめ、ばかみたい、無理無理、やめよう、これらすべて口癖です。
強固に染みついた悲観的な思考癖を矯正していくために、効果的な治療法?というものはあるのでしょうか?(自分をお経まきはずっとやっています)
A. 一言言いたい。ではせめて担当のために人生を楽しんでください。担当はいつも見ているし、きっと一緒に悲しんでいるはず。あなたがいてくれたからこんなに人生が楽しいんだよと言える一日を過ごせばいいだけです。
それに能力があるからこのブログにたどり着いているのにその力を無駄にするこたあない。あなたはできる
よく自分に正直になること、我がままになるようにとブログあるのですが、具体的にどういうことを言うのでしょうか?
好き放題に怒鳴りまくることでしょうか。嫌いな人を無視して、挨拶をしても存在しないかのように振る舞うのも、自分に正直ということでいいのでしょうか?(そういう人が身近におり、非常に幅を利かせています。もしかするとこれがブログで言われる人として正直な姿なのかもしれないと真剣に考えます)
言い周囲から浮いてしまったり、軋轢を生むのではないかと思います。それも含めて我がままに振る舞うことこそ、本当に自分に正直になることなのでしょうか?
この考え方自体がおかしいのでしょうか?
考えすぎてよく意味が分かりません。シャンバラの言う我がままな自分とは、どんな姿をしているのでしょうか。
A. 「わがまま」って「我のまま」ってことです。その「まま」というのは魂が赤ん坊の様に楽しいことです。自分という魂が楽しいってどういうこと?みんなもだれ一人傷つけずに楽しいってことです。
つまり、あなたが言った挨拶しない、暴言を吐くというのは全然彼らの魂のままではない。きっとみんなに慕われたい、愛されたい。必要とされたいという願望を根底において生きているので「我のまま」ではないのです。
それから正直そんな人間を意識するほどあなたの人生は暇ではない。このブログにかかわる人たちは、その時間のなさに愕然とするでしょう。とりあえず「ああ、またいってるなあ・・・」とわきに置いといてあなたは自分の時間をもっと楽しませることに集中しましょう。
自分を解放する。素敵な言葉ですが開放とはいったいなんなのでしょうか。開放するほどの素晴らしい自分を内包しているようにも思えません。私の内面は空っぽで張子の虎のようなものです。
根本的な(悲観的な)考え方が変われば、自分の持っているものに気づけるのでしょうか。
A. 解放とは自分を許すことです。自分をほめてごらんなさい。どこが素敵か考えましょう。あなたを締め付けているのはほかでもないあなた自身なのですから、許してもうその件を蒸し返さず、したいことをする。それができるには、下手に生きる自分もかわいいと思えるときに起きます。
引け目を感じることを許す、つまり人より劣っている自分に安心しているのだと思います。実際仕事は自信の持ちようがないくらいミスばかりです。そのくせクズと思われたくない無駄なプライドもあります。
出ない釘は打たれることもありません。苛められる心配もなくとても安心できます。差別され、村八分にされる人生には疲れました。
人と触れ合うことで豊かに生きていけるのかもしれませんが、人の顔色をうかがって、結局はより傷つくだけの気がしています。
どうすれば人とうまく付き合える自分を作り出せるのかわかりません。人として自分を守り、内に籠って生きる生き方はそんなにも間違っているのでしょうか?
A. あなたは自分さえ見ていない。自分と付き合うことができたら人とも付き合える。人嫌いでも自分と向き合える人は、何気に人生を楽しんでいます。
人に触れることが確かに大事ですが、そこまで自己嫌悪していると人に触れることが傷つく原因になります。だからシャンバラがあるのです。少なくともあなたの嫌いな現実世界の人間はいない。そこでずっと一人で温泉につかったり、庭を歩いたりしてみてください。ベッドでゴロゴロするのもいい。海岸で海水浴もいい。リゾートの豪華ホテルで一日遊ぶのもいい。
するとあることに気が付きます。人がいないってこんなに面白くないのかってこと。雑踏が嫌いな人もいつかはここで癒されると人恋しくなります。この人恋しい気持ちこそが大事なんです。1週間やってみてください。心の部屋をホテルとつなげますから。
情けない質問ですが、すべて自分の中にあるものばかりです。
心の袋小路から抜け出すヒントがいただければと思いますが、甘えるな、自己分析して自分で考えるのが先だろうと言われそうな気もします。本当に申し訳ありません。よろしくお願いします。
A. ええ?人はだれしも泥沼です。あなただけではない。挨拶しない人も暴言を吐く人も泥沼にいるから叫んでいるのです。あなたには担当や守護霊がいる。そして何よりこのブログで吐露する場がある。しかし、彼らにそれはない。その好条件を常に感じてみましょう
ホテル予約しておきますね。担当と一緒に来てください
ちなみにアロムさんが作った旅館は騒がしいのでやめておいたほうがいいwww
質問をありがとうございました
コメント
自己嫌悪。確かにその通りです。自己嫌悪の次は自己破壊しかない。
そこから抜け出したくてもがいてきたのだと思います。
たぶんまだもがいて生きて行く。
回答をありがとうございます。
いまはまだ、これをお伝えするので精一杯です。