Q.
C-1スタッフの皆様、お久しぶりです!今回は質問、というか相談、のような形になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
先日の調印式では、日本の皆様は就寝時間中ということもあって、睡眠参加というケースが多かったと思います。私は時差のお陰で、バッチリ起きている時間帯!と張り切って意識的に参加する、つもりでした。
しかし会場やシャンバラ自分にフォーカスしようとする度に物凄い眠気に襲われまして、結局2度寝、3度寝になってしまい、妄想すら出来ない状態でした。
実は先週からこのような状況が続いています。普段出来るだけ起きている時に妄想=アクセスするようにしているのですが、先週は自分が歌う時とサロンに差し入れする時www以外、眠気に襲われて妄想出来ない状態が続いております。寝る前などは、一瞬妄想しただけで次の瞬間には意識不明です。
調印式だけでしたら、深層アストラル界へのアクセスということで納得できそうですが、普通に自分の部屋にフォーカスしようとしても(しかもリアル自分が歩きながら、でも)眠気に襲われるのはなぜなのか(それもここ1、2週間)、疑問に思っております。
なぜ、眠くなってしまうのか?
今までのように、眠らずに妄想を楽しむ術は?
眠いのは一時的なものか?もし、何かご教示頂ける事がございましたら、ぜひよろしくお願いいたします!
A.
一つに部屋にアクセスすると副交感神経が働く癖ができてしまっているときに起きます
いわば自己催眠状態
次に、深層アストラル体が優位に働き始めて、肉体界が停止する時もあります
こんな時は慣れしかないです
起きながら入る習慣を身に付けることです
あと最後に言えることは、この時期噴火などのニュースが多いので、地電流が思いのほか高く、つかれているのかもしれません
どちらにしても、もう少し様子を見ましょう
質問をありがとうございました
コメント
Q.
5月3日の記念すべき日に日本では午前1時51分ごろ地震がありました。
(震源地は、鳥島近海で、震源の深さはごく浅く、地震の規模を示すマグニチュードは5.9)
これは何かシャンバラの調印式と関係があったのでしょうか?
Q.
「A-2 アルザルについて」
http://ameblo.jp/aromlinea111/entry-12018919813.html
(質問)
アルザルという地名は
↓
(回答)
狭義で言えばそうです。シャンバラといっていいでしょう
しかし、そのシャンバラは本当にあなたがたが望んだ世界でしょうか?
ということでは違いますと言えます
アルザル
・アルザルという地名は旧約聖書外典「エズラ記(ラテン語)」に記載がある。
地底王国
・古代よりチベットに伝わる地底王国「シャンバラ」は、インドの『ヴィシュヌ・プラーナ』に描かれる
・シャンバラについて最も体系的に書かれているのが、仏教の最終経典と呼ばれるチベット密教の『カーラチャクラ・タントラ』である。
・カーラチャクラ・タントラを説いたのは、ゴータマ・シーダールタ(釈迦)だといわれている。
・釈迦は、「シャンバラは雪と氷に閉ざされた北にある」と言い残したという。
・ヒトラーやスターリン、ルーズベルトも、各地にシャンバラ探索隊を派遣したが発見されることはなかった。
↑
といものを読みました。
ヒトラーといえばユダヤ迫害で
地底というとアセンションの時に(レプが)避難する場所
ユダヤといえばメンタル体
メンタル体といえば人柱
このあたりはざっくり関係するのでしょうか?
また、今回のネパール地震は色々な説(情報)が飛び交ってますが
シャンバラではどのように見られているのでしょうか
(3.11では念エネルギーとの見解でした)
どうぞ宜しくお願い致します。
回答を頂いてホッとしたのか?今朝早速起床後に(動きながら)妄想アクセスしてみましたら、眠くならずに楽しく過ごせました♪
お客様がいらしたり、お部屋のプチ模様替えをしたり、と眠くなり難い事を続けて行ったのも良かったかもしれません。担当さんには「身体だけではない疲労もあるだろうから無理しないで楽しんで下さい」というようなことを言われました。
あれもこれもしっかり見よう!聞こう!と頑張り過ぎていたことも、原因のひとつにあるようです。
もちついて楽しみたいと思います(^▽^;)
調印式、お疲れ様でした。
私は少し見学をさせていただいた感じだったかと思います。
現実世界での両親の手続きや実家解体の始末も終わり、やっと自分のことを考える時間を取れるようになりました。
これからは、本当に一人です。
「日常をちゃんと過ごす」
ここを一番に考えていますので、あまりシャンバラにも、ブログにも参加していませんでした。
こういう世界の事を軽視しているわけでも、現実の世界で起きている様々な事を、見てみぬフリをしようとも思っていません。
ただ、自分の身の回りで起きている事を後回しにしてまで気にかける事ではないと思っているからです。
今回いろんな人達と関わり、「口を開けて待っている人」というのが、どんな人なのか、はっきりと分かる機会となりました。
「自分の責任にしたくない」そういう人が意外と多くて、私自身も、どこかで言い訳をしていないか振り返るきっかけにもなりました。
私は、シャンバラのことがよく見える側の人間ではありません。
積極性もない方です。
でも、無理してまで、背伸びしてまで「見えなくていい」「分からなくていい」と考えています。
それでも、シャンバラの方々の研究心には惹かれるところもあり、学校には行きたいと思っています。
こういう『たまにシャンバラ』な人でも、皆と共に7ヶ月後を迎えられるでしょうか?
日常をこなすのが上手く出来ない為ではあります。
自分のペースで、あくまでもシャンバラは余力で行きたい所と思っています。
なんとかシャンバラを認識出来るように日々がんばっている人と、こういう『たまにシャンバラ』の人では、見え方や聞こえ方も変わってくるとは思いますが、結果として大きく違ってくる事はありますか?
このブログやスピリチュアル等、全く関わりなく過ごしていても、共にアセンションは経験するかとは思うのです。
微妙に違った次元へと進むのでしょうか?
よろしくお願い致します。
m(_ _)m