こんにちは。
今日、ADHDのことを報酬系欠陥症候群と記載してるのを見かけました。多動のイメージがあったので、報酬系欠陥がどう関係してるのか調べたら、遠い将来のために勉強することに興味がなく、目の前の報酬のためになら勉強できるという意味でした。

この社会は、遠い将来を心配して貯金したり、保険をかけたり、受験のための勉強だったり、「いま」を楽しむことを犠牲にすることで成り立っていて、そういった社会の動きに反するから「障害者」認定になるの!?と地味に驚きました。

生きにくさにおいては、障害者の認定でラクになることもありますが、シャンバラでは発達障害というカテゴリはありますか?

またこういったことへの何か見解がありましたらぜひ教えて下さい。

A. はっきり言います。言葉を間違っています。「発達障害」ではなく「発達個性」というべきです。つまり発達のスピードも癖も何もかも個性があって、それがたまたま教室という狭い世界で教師が教えるには困った問題行動(これも変なのですが)をする子を「発達障害」とくくったのでしょう。

たぶん海外では日本人の皆さんが恐れる「発達障害」と呼ばれる名称は正常に含まれます。教える側の能力低下を棚に上げたこまった表現です。個性にあった教え方を考えず自分たちに都合がいい子を「正常」とくくるのも変ですよね。

子供は危険を察知すると何も言いません。特に自分たちが悪い人間といわれそうになる瞬間から何もかも内に秘めるのです。だからそのはけ口が「いじめ」という行動になるのです。

念エネルギーの奪い合いは気の毒としか言いようがありません。なにせ教師にエネルギーを奪われているのですから。子供たちで何とかしようと必死です。

一体何が悪いのか?簡単です。教師の社会経験の低さからきています。一度も社会に出たことがないまま教師という王国の王になれば狭い視野でしか子供を見ることができないのです。だからその社会にでたことのない集団、教育委員会が問題が起きた時にする行動は稚拙な隠蔽しかないのです。

社会は誠実を求められます。税金、労使関係、顧客、仕入先。正直になることをまずは求められます。その経験がなければ当然隠蔽しても、その場をしのげればと思うのも仕方がありません。障害とくくるのはそんな社会に出たことのない人間がつけたレッテルです。めげないでください。社会に出ればあなたは正常になります。もしかすると教師が認めた正常といわれた子が社会になじめずにいるかもしれません。

世界は広い。あなたの待っている世界は必ずあります。だからそんなところでとどまらず堂々と大人になってください。もし変だと思い続けるならこの間違った教育者選択を見直すように世界を変えましょう。「一人一項目」シャンバラの言葉です。一人が人生で一項目変えたなら全体で起こせば世界は変わるという意味です。

期待しています

 

質問をありがとうございました

 

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