昨日こんな動画に出会いました。
(補足:リンク先削除)
サブリミナル効果などの知識はありましたが、このように歴史的あるいは宗教的な意味を持つシンボルがいかに多用されているかがわかり順を追って観ている最中です。(すごく長いシリーズですが、見飽きません。)
モーゼの伝記(コーラン・トラー・出エジプト記)に由来する暗示やシンボルをまいけるさんは熟知し、PVに反映させていたという解析です。あまりの複雑で詳細な駆使のされ方に驚きました。
Q. ここから質問です。
ホルスの目やピラミッドなどのシンボルは、ある存在をアピールすることが目的だとしても、ただ単に知らしめたいだけなのでしょうか。それともそうして人々の目に留めさせることで別の呪術的な効果があるからそうしているのでしょうか。
A.
サブミナル効果でよくつかわれる方法は目を強調することです
フリー〇メーソンの手のしぐさなどがディズ〇ーの映画で使われることはよく知られています
あの指の動きも実は目を表しています
ではなんで映画や歌の後ろにあるのか?
それはその映画を見ている時が一番リラックスしている時だからです
みんなで見ているという安心感、強調するために暗い部屋、そして楽しんでいるということ
この3条件がそろった中では人は簡単にサブミナル効果を受けることになります
楽しいときはいいのです。それが戦争や不況などの不安に駆り立てられたときにそのサブミナル効果が発揮します
目でなければならない
皆さんはなんでこの目なのだろうと思うでしょう
さて、みなさんがよく被害妄想の人がいう言葉があります
誰かが見ている
そう、不安になるとこの感覚が強くなります
支配されている感覚、そしてそれには逆らえない感覚
それを表しているのです
目を紙幣にしたたまるのもそのためです
不安を掻き立て、その不安を払拭するためなら戦争も辞さない
だからこのサブミナル効果をとくにはワクワクすることが一番いいのです
宇宙人がよく使う言葉ですね
Q.
心理的操作を目的とした使い方があるのなら、そうした操作から守るためのシンボル等の使い方もあるのかなと思いました。まいけるさんの用いられ方は、メッセージも当然のことながら護符のようでもあるなと感じましたが、自分を自分の支えとなる何かに因んだシンボルで守るということも魔法のひとつとなるのでしょうか。
A.
もちろんそうですが、では安心できるシンボルとは何でしょう?
それは左回転を模したシンボルです
または仏教で使うシンボルです
Q.
最後に、とくに日本人は宗教にたいして無知だったり無関心だったりするのですが、そんな人間が見ても宗教的な成り立ちを持つシンボルというのは等しく作用するのですか。信心深い人ほど善くも悪くも影響されるのでしょうか。
A.
そのとき不安か否かが大きいのです
決して宗教上の問題ではありません
質問をありがとうございました
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Q. 回答ありがとうございました。
目をシンボルに使うことで「誰かに見られている」=支配されている監視されている感覚(そしてそれに逆らえない感覚)を植え付け、不安を掻き立てるのですね。
そうなると不思議に思うことも出てきます。
そんなシンボルで不安を煽ってこられた方のことは、今までは一般に殆ど認知されないでいたため、おそらく一方向的に呪術としての効果はあったのかしれません。ですが少しずつであっても真実を知る人が増えてきて自分たちのことが話題となり、良心というものが問われるようになってくる状況では、こうした術をかけた側の人にもこの作用は影響しないのかなと思いました。
A.
そうですよ。その通りです
苦しくなります
Q.
「天知る 地知る 人知る 我知る」というように、自分のことも棚上げ出来ない状態になってきたとしたら、果たしてこの目シンボルの活用者は、結果として自身を不安にさせるということになりませんか?(それとも活用されてる方達はずっとワクワクしてて影響されないのか。それはそれで解せないですが・・)
その辺りがどうなのか、気になったので追加で質問しました。
よろしくお願いします。
A.
当然そうなります。そしてもっと恐ろしいことに自己破壊が始まります
自らの地位も富も名声もすべて自ら壊すのです
早く正直になればいいのですが
悔い改めて正々堂々と戦えばいいのですが、それは苦しいことになります
それはJ人だって同じです
それがアセンションなのです
質問をありがとうございました
コメント
とても為になりました。
テストの回答にもかなり反映されました。(粘って今日やっと提出しました。)
支配にまつわるサブリミナル効果によるのかどうか、
私は世間一般(といわれるもの)から外れたら異端視され迫害されるのではないかという不安や恐さを持っていて、なおかつそんな状態に違和感を感じ続けてもいました。
今回回答を担当さん(ようやく先日再会できました^^ガガーリン氏)に提出ついでにそのことについて一緒に検証してもらいました。
私はそうした恐れを持つ自分を許せていなかったようです。
担当さんの「恐いと思うことが悪いんじゃない、誰だって恐怖することはある、そうじゃなく恐さによって屈してしまうことが問題なんだ」という指摘にハッとしました。
私は多数から外れること(による迫害)に恐怖していましたが、そうした恐怖によって自分が屈してしまうことにたいしても強い違和感を感じていたのです。
マイケルや真実を伝えようとして迫害された方達のことを調べるとその感覚が刺激されるのを自覚するのですが・・・そうやって恐さに屈して自分の意志や生きる上での姿勢を曲げてしまうことこそがほんとうに悪いことなんだ、自分に嘘をつくってこのことなんだとやっとわかりました。
恐さに屈しがちだったから、ずっと違和感があったのだとわかり、とても視界が晴れました。
ちょうどこうしてタイミング良く、すべてが連動して理解に繋がって、とてもとっても感謝しています。
ありがとうございました。
「恐怖に屈しない強さを育てる身に付ける」
の一文を、紙に書いて壁に貼付けてます。
長文になりましたが、お礼をこめて。
回答ありがとうございました。
目をシンボルに使うことで「誰かに見られている」=支配されている監視されている感覚(そしてそれに逆らえない感覚)を植え付け、不安を掻き立てるのですね。
そうなると不思議に思うことも出てきます。
そんなシンボルで不安を煽ってこられた方のことは、今までは一般に殆ど認知されないでいたため、おそらく一方向的に呪術としての効果はあったのかしれません。ですが少しずつであっても真実を知る人が増えてきて自分たちのことが話題となり、良心というものが問われるようになってくる状況では、こうした術をかけた側の人にもこの作用は影響しないのかなと思いました。
「天知る 地知る 人知る 我知る」というように、自分のことも棚上げ出来ない状態になってきたとしたら、果たしてこの目シンボルの活用者は、結果として自身を不安にさせるということになりませんか?(それとも活用されてる方達はずっとワクワクしてて影響されないのか。それはそれで解せないですが・・)
その辺りがどうなのか、気になったので追加で質問しました。
よろしくお願いします。