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◎: 共栄共存の立場から収穫について思うこと

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この度は、一読者にこのような意見を述べる機会をもうけて下さりありがとうございます。

私は共栄共存を望みます。

今、地球は福島の原発のように危機がおこりかねない状況にあり、地球の周波数を上げることでその危機を回避できるのでエササニが収穫を提案していると教わりました。

収穫はメンタル体を持たない人の命を奪うこと。痛みの感覚はなく、、地球に残った側は、消された人たちの記憶がなくなるので問題ないとありました。その後、エササニの指導が入るので、残された人たちは成長し、より良い地球になると。

地球に残された人たちは、収穫された人についての記憶を消されますが、それは残された人たちの成長にとっては良いことでしょうか?

福島の原発と同じ状況と言われました。流される家屋、人。つらく痛く信じられない光景が記憶にあります。広島、長崎の原発は資料館もあり、平和について考える機会を与えられています。私たちは、その事実を消されてはいません。事実が残るから、反省もでき、改善、成長があるのだと思います。過程や結果に対しての探求がなければ、真の成長は望めないと思います。それぞれが、それぞれのレベルで考えることが成長につながるのではないでしょうか。

記憶を消して、なかったことにして、指導が入ること抵抗を感じます。人間の中でいろんな気持ち考えがおきることで進化がみえてくると思います。

エササニの指導が入れば、早い成長が期待できると思いますが、エササニの思う範疇においてだと思います。それで充分かもしれませんが、いろんな人を受け入れた地球では、自由ゆえに、ガイアも想像もつかない良いことも生まれていたのではないでしょうか?

やむをえず収穫がおこった場合、成長という点から考えると、記憶を残したほうがいいと思います。

まず、地球に残った人が、今までの態度を反省する機会を得るためです。その時、多くの人が、ガイアの意思である「共栄共存」が分かってくると思います。

また、犠牲になって消された場合、存在をなかったことにするのは失礼で申し訳ないと思います。普通の幸せ、ふつうの生活をして消される犠牲者に、思いをもつ気持ちは人間の中にあるはずです。

私は、人間は見えますが、メンタル体は見えません。メンタル体があろうとなかろうと、同じ人間なのです。

メンタル体をもたないというおおざっぱなカテゴリーでの収穫という行為に、ずっと強く違和感を感じます。成長に必要なのは、ガイアも望む共栄共存の気持ちを一人一人がもつことではないでしょうか。互いを敬い、理解しようとすることで築いていけると思います。その上でエササニの指導を受け、成長していけたらと思います。

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