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念: 念エネルギーと闘争心について

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皆様いつもありがとうございます。 皆様の念についての質問楽しく読ませて頂きましたところ、ふと浮かんだ念エネルギーと闘争心の関係について質問させて下さい。

人の1日の活動力、活動量が念エネルギーに基づいてるという考えの元、過去の自分を振り返りました。

私は兼ねてから自分に一番欠けているものは情熱だと思っており、人前で人と競い合ったり争ったり、闘争心をひけらかすのが苦手で、分かりやすく言うとスポーツの練習試合で勝てる相手に本番試合で競り合ったら負けるタイプです。

しかし、私が闘志を燃やしていた頃を思い出しました。小学校、中学校の頃を共に過ごした親友に負けたくない、という闘争心を抱いていた頃です。今思えば私的には親友が良いライバル的存在だったのかなと思います。

Q.そこでライバルに抱く闘争心で切磋琢磨し合えるというのは一般的な考えですが、これって念エネルギーで考えると「くそ〜、やってやる!」というメラメラした気持ちは、相手に向けるというより自分にもっと力が出せ〜!負けるな〜!と念エネルギーを沸々と湧かせているようなイメージですが、実際に念エネルギーは増えていくのでしょうか?

A. 念エネルギーが増えることはありません。それよりちょろちょろ出していたホースの先端をつまんで水を勢いよく噴出することです。

どちらも流出量は同じはずですが時に勢い余って物を破壊するくらいになることもあります。

Q.あと質問を書いてて思いましたが、上記の通り私はスポーツで念負けするタイプだと思います。しかし勉強が良くできたというかペーパーテストや試験が得意でした。

自分に集中できる環境は大いに自分の力を発揮できたように思いますが、一般的に言う試験や受験など人と競い合っていても、あからさまにぶつからないシュチュエーションでは念エネルギーはお互いにはぶつかり合わないものなのでしょうか?

A. そうですね。スポーツなどの戦いでは互いに念エネルギーをぶつけ合うこともあるでしょう。それでたくましくなることもあるでしょう。それで成長する人もいる。

しかし、あなたの場合は人を人として見るあまり自分を見失うタイプです。ということは対抗相手がいることがむしろ足かせになっていたのでしょう。

(妄想でw)自分だけを見る。大切ですが意外にできない。そんなことができるのだから別にスポーツで伸びなくてもいいと思います。

Q.それとも試験や受験などはもしかして次元操作の要素の方が大きくて、私はそっちが得意だっただけでしょうか?…だとしても集中していたから念エネルギーを取られたり無駄遣いせずに自分の次元操作に向けることができただけで、あくまで念エネルギーあっての次元操作、でしょうか?

A. はい念エネルギーあっての次元操作です。それこそ燃料なくして車は動かないというくらい大事なエネルギーです

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このブログに出会ってからというもの人は人、自分は自分と出来る限り自分のしたいことにエネルギーを向けることを考えていましたが、ふと過去のメラメラしていた頃の自分がやりたいことをやっているからという訳ではなく、ライバルに負けたくないというバリバリの他己の中での自分であり、かつ念エネルギーが増えていたような感覚に思えたので質問が浮かびました。そういうのが思春期で若さの象徴です、と言ってしまえば終わりなような気もしますが。笑

もうあの沸々した感覚を味わうことはないんだろうなぁと感じます。 どうぞよろしくお願いします。

A. 負けることへの恐怖もあったのでしょうか?我々は思春期が一番プライドが高いといいます。若さゆえかもしれませんが、単に視野が狭いだけだと思いますよ。それでも若いころを思い出せるだけいいことです。ぜひその若さで天命なる道を突き進みましょう

 

質問をありがとうございました

コメント

  1. ma より:

    なるほど、、ホースをつまんでブシューっとする感覚、納得です。念エネルギーの使い方は振り分けというか無駄遣いせずに配分をどこに充てるかだけだと考えていましたが、使いようにもよるということですね。とても勉強になりました。
    思春期の頃プライドを捨てられる大人になりたいと思うあまり、情熱も一緒に消えたのだと今分かりました。
    プライドも念エネルギーも使いようですね。適所適所でブシューっとエネルギーをうまく使いこなせるように頑張ります。
    気付きを沢山いただきました。
    ご回答ありがとうございました。

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