Q.
シャンバラではかなり医療が確立されているように思うのですが
例えば、本人が「治療ヤダ」と言った場合はどうするのでしょうか?医療班の方々目線では「いやいやいや、手術すれば治るのに」という場合でも
本人が駄々こねましたら、本人の意見を尊重するのでしょうか
治したい、我々を信頼して欲しい!という心と揺るぎない自信から、説得をされるのでしょうか
それとも、本人が(仮に)手術しない人生を体験したい!という方向を、あえて邪魔しないのでしょうか
A.
無知からくる拒否は当然説得と説明をします
しかし、すべてを理解したうえでの判断は尊重すると決めています
それがたとえ無謀でもです
邪魔はしません
Q.
上で、シャンバラではかなり医療が確立されているように思うのですが・・・と書いたのですが、確立されているのでしょうか?「この病にはこれ」という決定的な治療法がすでにあるのでしょうか
それとも医療班といえど、日々発見なのでしょうか(新しい病は現在進行形で研究されてるでしょうが、昔からの有名どころは確実な方法があるのでしょうか)地球上の話で恐縮ですが、色々な治療法が編み出され、特化したスペシャリストの場合は、ご自分の治療法に自信をもっておられます。
私も素人ながら、これがいいのではないかと体感したものは、つい自信満々になります。
しかし、そうなった瞬間に、「本当かな・・」といつも思うのです。
今日という日にそう思っただけで、明日は分からないし、10年後にはもっといい方法を編み出せるのではないかと思うのです。
これは地球上でのレベルの話なのでしょうか
シャンバラではどうなのでしょうか
A.
いえいえ、確立はしていないと思います
知らない伝染病から知らない時間からくる病気、知らない電磁波の病気などなど、科学が発達するほどに病気も増えます
とても追いつけるものではありません
Q.
治療者(医師)と患者の”信頼と協力”はかかせないものなのでしょうか治療者(医師)にまかせっきりというのはどうなのかなと、自分自身の体験から今では反省しきりです。
今では、まかせっきりという姿勢はむしろ失礼なのかなと自分に思うようになりました。
(※私が思っただけです。実際違ったらすいません)医療班の方の探究心は凄いなと(何も知らない分際で)思うのですが
患者として、自分と向き合いながら(自分との対峙、勉強)
治療者(医師)にご相談するのがいいのでしょうか医療班の方々は治療が本分ですが
どんなに頑張っても、患者である本人が根本に気がつかず、丸投げで
むしろ「治らないじゃないか」とか言われましたら悲しいのかなと思いました。
(そんな状況はないと思いますが。例え話です。すいません)治療者も精一杯頑張る、信頼してほしい
けれど、患者の協力も欠かせないのだよ!と思うことはないのでしょうか?どうぞよろしくお願い致します。
A.
知っている人と知らない人に立ち位置が決まった時代はすでに終わっています
信頼と協力はあくまでも互いが同等であることが条件でなければなりません
それをもってしても医師の方が上を行ってしまいます
しかし、患者の協力なくして治療はあり得ません
日ごろの体調を知っているのは他でもない本人だからです
その反応の速さが治療者にとっても安心して治療に専念できるのです
あなたはまかせっきりだったことが問題であって、本当は調べれば出てくることだったように思います
本当に医者の良き協力者だったのか考えましょう
我々は西洋医学に異存はありません
必要な科学です
逆に東洋医学も必要です
その二つが敢えて別々にそだったことを思うと、これも宿命なのだろうかと思いました
これからもよろしく
質問をありがとうございました
コメント
ベスさん
医療班のすべてのみなさま ありがとうございました。
知れば知るほど、どんどん尊敬が日々増してゆく医療班のみなさま・・
(お前にみなさまの何が分かるんだよ←自分つっこみ)
一回聞いてみたかった質問で、お答えを本当にありがとうございました。
●本人の治療拒否
無謀でも邪魔なさらない・・のですね。
ああ、私ならば諦めが悪いので、胸ぐら掴んで説得をしてしまいそうです・・。
(いや、それ説得じゃないし!)
●治療の確立
「科学が発達するほど病気も増える」・・・
なのですね。
今までは逆に病を作ってるのではないかと思っていたのですが
伝染病、知らない時間からくる病など色々あるのですね・・。
すごいなあ・・でも、それを”使命として凛とし取り組む”・・そんなイメージを医療班さまに感じてしまいました。
●治療者と患者
>あなたはまかせっきりだったことが問題であって、本当は調べれば出てくることだったように思います
>本当に医者の良き協力者だったのか考えましょう
↑↑↑
このお言葉がとっても身にしみます。
もっと言いますと、まかせっきりであったことに信じて疑わなかった自分というものがいました。
そして3年前はもう治らないんじゃないかと諦めかけた時期もありました。(治らない病じゃあないのにですよ?)
自分の探究心のなさと無知さを恥じなければいけなかったのになと今では思います。
ですから、よくあります医療であったり医師(地球の)を責めるのではなく、自分自身の姿勢の方をまず考えねばいけなかったのですね。
なんだか今日は聞きたいことが聞けまして、幸せですーーー。
質問できましたことに喜びと感謝です。
みなさまいつも本当にありがとうございます。
ご回答を誠にありがとうございました。