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書きプロ: 書くということについて

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ベスさん、スタッフさん ブログ編集関係のみなさん
いつもほんとうにありがとうございます!
4月8日の書きプロを前に、書くということについて質問させてください。

お経まき、お札まきも名前をゆっくり丁寧に、一念込めて書いています。書き手の念を、まさに文字にこめているのだと思っています。

紙の上で、その念と名前という自分または名前の主の周波数が交じり合っている、ということになるのでしょうか。何か化学変化が起きていますか?

A. 書くということはその人の周波数に合わせる意味があります。なので自分の名前を書かない限り大丈夫です。ちなみにお経巻きなど一つに2人を書いてはいけないのはこのためです。

 

最近は手書きということが減りました。書く、ということと打ち込む(PC、スマホ等)では、こめられるエネルギーに違いはあるのでしょうか?

A. 違いはありません。本来それが物質化することに意味があります。ただ、やり方にまだ慣れていません。しかしすでにスマホで念を送ることができる一部の猛者が出てきています。それは非難・中傷の炎上で人の心を傷つける人たちです。この人達は実はそんな念エネルギーを出せる人なのです。もったいないですよね。自分が幸せになるようにできたのにそのエネルギーは自己破壊に向かっているのですから。だれにも自分がしたことがばれないと思っていますが、それだけ自己破壊は確実に進みます。

 

手書きの文字と、PCに入力して印刷された文字では、当り前ですがエネルギーに差があるのでしょうか?

A. 印刷技術が発達するにつれて変わります。上記の様に慣れなので今は違いがあってもそのうちに変わらなくなると思います。ただ、手書きは人間ですから周波数が数分置きに波があるのですが印刷は文字に込められた周波数が一定しているのでその方がいいと思います。

 

ブログ、フェイスブック、ツイッターなどあらゆる媒体で、自分の思考や感情を表現できる時代です。入力する人間は意思と指を使ってそれを操作します。いわば念がこもっていると思うのですが、世間の反応が大きなものは、それだけ強いエネルギーを持って発信されているということでしょうか?

A. いいえ、発信する人間の霊格ないし人としての器が大きいときに起きます。念を込められなくてもヒットした流行語や歌がありますよね。スポーツや劇などに「花がある」というのがそれです。そこに強さは求められていないのです。

 

古来日本人は日記を書くという習慣を持ち、戦争中米軍は実は日本兵が手帳を日記としており、そこから情報を得ることがあったと聞いたことがあります。
日記を書くというのは、その日の出来事、自分を客観的に俯瞰する、あるいは吐き出せなかった感情を整理する場所ではないかとも思います。

ブログでは就寝前に「~について書きましょう」というアドバイスが再三あります。日本人(または外国でも)は無意識にこの効果を知っていたのでしょうか?

A. はい、もともと縄文人ですから(‘◇’)ゞ

 

現代でもそうですが、100年前は読み書きのできない人口比率が世界的にも高かったと思います。識字率が上がることで当時と現在と、何かしら違いは生じているのでしょうか?

A. 識字率が上がると次元操作がしやすくなります。だって自分の願いを文字化するということは物質化しているのと同じですよね。だから日本は本来の弱小国からの脱皮が可能なのです

 

文字を書く、という行為の中で注意すべき点はありますか?(人様に読める字を書くとか、書き順正くとか以外でww )

よろしくお願いします!

A. 書きプロや写経ですよね? まず中断しない。一気に書きます。なので途中で立ち上がるなら(トイレなどで)筆を下すときに手を合わせ、書き始めるときも手を合わせましょう。

質問をありがとうございました

 

コメント

  1. KOTO より:

    なんと、炎上の裏にはそんな恐ろしい真実が隠されているのですね。つまり逆もあって、ネッツ世界の言動で癒しを与えることも十分可能いうことですね。
    書きプロ、奥が深そうです。
    また質問したいと思います。
    ありがとうございました。

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