こんにちは。
思いつきで質問させて下さい。
社会の問題を呈することはネット時代では盛んに見られます。
私もアフリカの孤児や、政治、パワハラなど考え出すとキリがありません。特に、自由を叫びたいです(笑)
ふと、シュタイナー教育を受けたり、国内で「普通の教育」をしない学校から輩出された人で、「反◯◯!!」を声高に叫ぶ人をあまり見かけない気がします。星野源さんの学校でもまず「自由とはなにか」を考え語り合うのだそうです。
縛られることから自由になる方法を知ってるから?
となると、常識や社会や会社に縛られてる(と思い込む)わたしが、実は縛られてないと考えれば、「問題」ではなくなるのでは?
そもそも問題なんてあるの?と思いました。
人生は生まれる前に家族や環境を設定すると聞きました。
環境の中で「問題」を感じ、解決することも必然なのかとも思います。
シャンバラでは問題視と、人生そのものの設定について、どのように考えますか?それ自体にやはり意味があるのでしょうか?長くてすみません。
よろしくお願いいたします。
(いつもご回答本当にありがとうございます!)
A. シャンバラでも問題点は山積みです。こうするべきでは?と思いながらもうまくいかないことも多々あります。しかし、それは否定するのではなく改善することだから、土台すべてを突き崩す必要はないわけです。あまりにゆがんだ組織は取り崩しますが。「困ったからどうしようか?」と考える人は反対運動はしません。
「困ったから何とかして」と懇願する人ほど反対運動をします。たぶん個人レベルでも同じでしょう。あ、この2つの違いは判りますよね?後者は結局変更するのも相手任せなのです。
この違いは大きいですよね。例えば日本人1億いれば1億項目の問題点を解決するように頑張れば結構いい社会になりませんか?昔は働くことが生活だったからそんな余裕はないけれど、今は週休2日がもっと増えるとき動けますよね。仕事と違う仕事がある。人間関係も広がるしなにより自分と考えを同じにする仲間を見つけることもできます。
これは適職でもないし天職でもない。もう一つの第三の職業になります。まあ、キリスト教では教会が毎週ミサをすることでボランティアが盛ん。これこれ。これが第三の職業になるわけです。すると週休3日になるのは何のためかわかると思います。「人生の設定は人に触れることを目的にすると大きく間違えることはない」とシャンバラの言葉があります。まさしくそうなのだと思います。その時間があれば口を開けて待つこともない。
問題点の抽出はこの余裕こそ生み出すものなのです。忙しい人間はそんなことを考えません。できない。だから家でゴロゴロしないで外に出て人に接触する場所を見つけてください。もったいないですよ。
思い付きの回答でしたwwww
質問をありがとうございました
コメント
第三の職業いいですね〜!!ご質問者様と回答者様に感謝申し上げます。心にズンと響いてます。It’s a really useful and inspiring tips. Thank you!