スタッフ一同からのお知らせです ブログ運営 2023.10.052023.10.12 この記事は約1分で読めます。 ピンポンパンポン♪ コメント欄が荒れています。酷いコメントは削除しました それからしばらくブログも休止します お疲れ様でした
コメント
ブログの休止残念です😢
休止と判断されたいきさつや理由を、もうすこし詳しく知りたいと思いました。
自分の声を上げることの大事さを踏まえ、前回「原則を守ることの必要性」について書かせていただきました。自身については、今やれることはやらせていただいたと感じています。
この場をみんなで大事にしてゆきたいって思いました。
というか、本当のこのブログの問題点というのは、
『炎上していないこと』
だと思っています。
(悪質な1人や2人からのコメントで荒れている、なんていうのは炎上の内にはまったく入らず)
それこそ、世の中全体から何百、何千、何万という炎上コメントが書き込まれ、無限に拡散されて、そしてその投稿コメントを何十万、何百万という数の人間が見て、また更にコメントを付けてあれこれ好き勝手にブログやSNSに書き込んで拡散される。
たぶん、ベスさんとか主要な投稿者、運営メンバーなんて、数日もあれば個人情報など何もかもすべて特定されてしまいます(私にはそんな技術ありませんけど)。
セミナー会場には再生数稼ぎのためだけに炎上系YouTuberが取材に来てセミナーをぶち壊し、その一部始終の映像は理解のない人々の暇潰しのエンタメのために何十万、何百万と再生され、YouTubeのコメント欄は大盛況、動画は急上昇ランキングにランクイン…。
そして、もっと本格的に有名なブログになりだしたら、統一教会のニュースの時に大活躍したジャーナリストたちもベスさんやセミナーなどに取材に来るのではないかと思います。
それは行き過ぎかも知れませんが、
世の中からさんざんネタにされまくって、今よりも何千倍、何万倍、何十万倍という炎上コメントや攻撃に晒されて、それくらいまでして、やっと初めて本当の意味でネットの炎上って言えるレベルなんじゃないですか。
芸能人やインフルエンサーなんて、未成年や若い人でも事務所所属とはいえ、ほとんど個人でそれくらいのことをすべて受け止めて日々闘っているわけです。
炎上商法ともいうように、それで逆に世の中に広く認知されていくということもあります。
長くなってしまいましたが、何が言いたいかと言うと…、
このブログは、本当の意味で炎上していない、つまり世の中からまったく相手にされていないということです。
むしろ、もっと炎上してくれた方が、「シャンバラ」やこのブログが目指していることについて、一日でも早く達せられるのではないでしょうか?
「1人何役もしている」
ということについては、『一部間違っている』と言えます。
何故なら、私は今回の炎上とはまったく関係なく、時々URLだけコメントに貼ったりしていたので。
別に、荒らしたいわけではなく、この情報を多くの人に見てもらいたいなって思って書き込んだだけなんですけど…。
たぶん、その書き込みなども、そしてまた私とは別の無関係の通りすがりの人のコメントまでも、今回の炎上の当事者のしたことにされているのかもと思います。
ブログ運営側からは、書き込み者を同一の人物であるか、完全に特定する方法はありません。ネットの技術的にはね。
ただし、シャンバラとか連合とかそういった次元からなら、どんな手段を使って書き込んでも、完璧に誰がやったものなのか特定できるもんじゃあないんですかね…?
よく分からないけど。
声を上げる訓練です→訓練の参加者が少な過ぎた→休止(これじゃ本番も何もないね。)
ってことでは?
担当祭りや担任祭りであれだけ記事が上がるのに、その人たちはどこへいったの?何もコメントしないのかな?(訓練に参加しない?)と思いました。”何でもいい”ってことでも何も言わないってどういう心境かなと?
それにしても、仲間内で限界だ、とコメントされてたことに関して、ネット上ブログだけの読者としてはピンと来なかったので、何がどう限界だったのか?そこが分からずに気になっています。ネット環境で、誰かを追放なんてそもそもできないのに(いくらでもまた来る手段がある)、そこまで思うほど辛い思いをされてたんでしょうか?だとしたらそれが何だったのか?運営に関わる方だったから?とか、色々想像してますが…
炎上とはよく言ったもので、燃料を投下すればさらに燃え上がるし、風を送ればより高温になり飛び火する。ここまでは現実的世界でよく見る光景。シャンバラは本文で確実に煽っていた。
シャンバラが一連の私たちの行動を煽った上で観察していたとすると、もしかしたら違う結末もあったのかもしれない。
言論空間の炎上に対する燃料とは『言葉』だが、鎮火するための使い方もあったのではないか?場を白けさせるほどの正論、または、全てを吹き飛ばすほどのユーモアなど。
1人何役もしているという内容は疑念と分断を呼んだ。日本や世界などマクロの視点では情報を鵜呑みにしないなど心構えは身についたが、自分達により近いミクロの視点になるとその辺が見えなくなる。感情も邪魔しているのだろう。
ここは、転んでもタダでは起きないところを見せて、建設的な反省会をしましょう。(反省する姿勢を見せる会ではなく、気付いたことや、対策などを出し合う)
根っからの理系で分析力にお墨付きをいただいたので、それを信じて投稿します。
目の前で困っている人がいたら「見て見ぬふり」はせずに生きてきました。
街中でトラブルが起きていそうな事があったら、「大丈夫ですか」「警察呼びましょう」と叫びながら猛ダッシュで走り寄るような生き方をしてきました。
「全体へ向けて」の一言だったとは言え、
強姦を見て見ぬふりをした人たち、虐待を知りながら動かなかった人たちと一括りにされ、大変な不快感を覚えました。
この低次元なやりとりに口を挟む事と同じにされて、虚脱感すら覚えました。
真意が見えてこない。
「書け」と煽りながら
「荒れているのでしばらく休止」「お疲れ様でした」も
乱暴だな、と感じています。
良くない方に急展開で驚いています。何がどうなっているのやら…。
訴えてやる、みたいな内容の記事が丸々削除されていますね。一人芝居との事、では自分が自分を訴える?のかしら?と、どこまでも理解の範疇を飛び越えていて、結局何にもよく分からないままに、ただこうして残念に思う事しかできないのかな…?
で、結局はなんだったのか?私達は何を見せられているのか…さっぱり分かりません。
でも連帯責任ですか?ブログ休止は残念です。
淋しいです😢
残念です。