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刷り込みだーー

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刷り込みについてもう少し質問させて下さい
●ドラマ、バラエティ番組などは内容に規制があり、「クレームが来るからだ」といいます。
視聴者は「こんなことを放送して子供が真似でもしたらどうするの!!」と思うからこそのクレームですが

これは何となく『刷り込み』というものを本能的に理解しての行動なのでしょうか?


はい、そうだと思います。逆に自分のうちの状況を棚に上げてすべては刷り込みのせいだと言い切るのもいかがなものか・・・と思います。


●中学校の時にちょっぴり荒れた学校でした。
子供ながらに「なんでだろう?」と考えていたのですが・・・
・近くの小学校が三校集まって同じ中学校に通う・・という流れで
ふたつの小学校は普通。私が通っていた小学校で、私のクラスだけが(汗)少し荒れていた。
10、11才(小学校5、6年)の担任があまりいい先生ではなく(先生は自分の出世を考える先生だった)、男の子達が反抗していた。
そのままの流れで中学に行ったので不良(という言葉が適切かは分かりませんが。スイマセン)っぽい子が増えてしまった。

「あー絶対ウチの小学校(でウチのクラス)のせいだな」とその当時は思っていました。
あとは不良漫画なども流行っていたのでマネしているのかなとか、思春期だからかな、とかも思いました。
・ですが、「念エネルギー」を教えて頂いて、念の奪い合いだったのだなと思いました。(その子達の家庭環境は分かりませんが)
不良っぽいのに、毎日学校に来ているというのも当時の私には不思議に見えて(学校で暴れるならば休めばいいのにと思ってた)いたのですが、
心の寂しさ(学校に来れば仲間がいる)とやはり念エネルギー欲しさもあったのかなと思いました。


エネルギーの補充はなにも人から奪わなくても、メンタル体が発動していればなんら問題はありません。

たとえば貧しくて迫害を受けるあの民族や、日本のように地下資源がなくても這い上がる国というのは戦争で念エネルギーを大量に奪われてもまた復活が可能なのです。

念エネルギーほしさであるとは思いますが、奪うことではけっして満足しません。人から奪っても結局大いなる自己は決して自分を許さないからです。

よっていつかは何らかの方法でその奪った念エネルギーを奪われるか手を離す形をとってしまうのです。

つまり、その地域の大人がそんな方法でしか念エネルギーの補充の方法を教えていなかったことが問題なのでしょう。


・今回「刷り込み」を教えて頂いて気がついたのですが、そういえば、7、8才の時期に「不良が主人公のドラマ」がよく放映されていたのを思い出しまして、
「もしや、刷り込みもあったのかしら!?」
と思ったのが今回の質問です。
もともと刷り込みがあった→大人に対する反抗(思春期)と念エネルギーの奪い合い→不良っぽくなってしまった
という流れなのでしょうか?
『刷り込み』は「かっこいいなー」みたいな憧れや興味から、だんだんに刷り込まれていってしまうのでしょうか?


あると思いますね。ブログでは殺人鬼について話しましたが、団塊の世代(昭和22年~26年)がこの時期60年安保を見つめてきていたのです。かっこいい、と思えたのなら70年安保ももしかしたら関係があるかも知れません

コメント

  1. より:

    ・幼稚園、小学校、中学校に入るためのお受験なるものがありますが
    それぞれその時期に詰め込み教育をするとどうなるのでしょうか?
    ・親、先生などが、本当に自分のことを考えてくれた上での行動なのか(愛があるか、本気か)など、子供ながらに観ていると思います。
    反抗してしまうのは、言葉に言い表せない思い(自分を分かって欲しい/あなたのそこが嫌だとか)でしょうか?
    愛を貰うということは、念エネルギーを貰っていることになるのでしょうか?
    愛が無い=念エネルギーの搾取と仮になるならば、”反抗”という形で、奪われないように、ガードしているのでしょうか?
    ・3才にたっぷり親に反抗すると、15才の思春期の反抗は少なく(又は無く)、
    3才に反抗足りないと、15才でより反抗してしまうと聞いたことがあるのですが、これはそうなのでしょうか?
    ・美術系の大学でよく聞く話だそうですが、
    「なんで美大に進んだの?」→「子供の頃、絵がうまいと褒められたから」と言うそうです。
    何度も言われる言葉で刷り込みが起こると考えると
    褒められる→嬉しいから心に残る、こともある反対に
    けなされる→心に残る場合もあると思うのです。
    ただ、けなされてもまったく気にしない人もいますし、どんなに褒められても、けなされた言葉を覚えている人がいます。
    心に響いた言葉が「自分はこんな人間なのか」と決め付けてしまうといえそうなのですが、
    その言葉も結局は自分が選んでいるのでしょうか?
    ・よく「今どきの子供は」と大人が嘆くシーンがありますが、6~9才の刷り込みを考えますと、彼ら(子供達は)まねしているだけで、私たち大人がまず反省しなければいけないと考えていいでしょうか?
    書いていて、猛烈に反省してきました・・
    どうぞ、宜しくお願いいたします。

  2. より:

    6歳~9歳の時にどんな情報を耳にしたかでその人の人生が左右される
    ・よく実際にプロ野球選手になった人は「僕は将来プロ野球選手になる」と卒業文集(小学校6年12歳)に書いていた・・などいいますが、この時期に心に思い描いていたから、ということでしょうか?(今まではある種の予知能力かと思っていましたw)
    実際になれるかは本人のメンタルと努力
    スポーツ用品店に勤め、球場の事務職、草野球の監督など関わる仕事でも子供の頃の夢が叶った、実現させたといっていいでしょうか?
    ここに気がつかないと、「夢は叶わない」などと思い込むようになってしまうのでしょうか?
    (実際、そう言っていた人がいたので)
    ・『刷り込み』は、本人が憧れ・興味をもった状態で起こると考えていいでしょうか?
    反対に、興味をまったく示さない・嫌がる場合には起こらないでしょうか?
    (無理やり修行させた場合は起こると思いますが、「嫌がる」場合は見ない・聞かない・記憶にとどめないから刷り込みようがないように思うのですが)
    ・『刷り込み』はひとつではなく、本人が特に興味を示したもの(濃い刷り込み)、ちょっと興味を示す(薄めの刷り込み)などということもあるでしょうか?
    ・この時期の周りの人間が特に重要ということですね。
    子供が『親の悪いところ』を真似してしまうというのはどんな心理から来るのでしょうか?
    (私も親の悪い所を真似したことがあります。「怒ってばかりだけれど、あなただってこうじゃないの」みたいに思ってやったのですが、ある意味気がついて欲しかったからなのかな・・とか考えてしまいます)

  3. より:

    ベスさん
    シャンバラのスタッフさま ありがとうございます。
    >戦争で念エネルギーを大量に奪われてもまた復活が可能なのです。
    >念エネルギーほしさであるとは思いますが、奪うことではけっして満足しません。人から奪っても結局大いなる自己は決して自分を許さないからです。
    この文章を何度読んでも、涙が出ます・・・。
    私たちは動物だっていうのが大前提ですが、「知性(メンタル体)」こそが重要だということがよく分かりました。
    「感情」では、何も解決しないのですね。
    念エネルギーを勉強していて、動物ですから結局は奪い合いの世界になってしまうのかと思っていたのですが、大いなる自己は決して許さないのですね!!
    ようやく頭の回線が繋がり理解できました!(←遅い)
    念エネルギーを勉強させて頂いて、本当に良かった!嬉しいと思います。
    >逆に自分のうちの状況を棚に上げてすべては刷り込みのせいだと言い切るのもいかがなものか・・・と思います。
    そうか、まずは身近な人間ですね。そうなるには、それだけの理由が身近にあったということですね。
    いつも、深い話をありがとうございます!

  4. こじかの母 より:

    ベスさんのブログでいつも勉強させて頂いております。お忙しい中本当にありがとうございます。
    お経巻きについて質問があります。
    いじられ易い息子がおりまして、お経巻き、大変有効活用させて頂いておりました。春休みの間は、巻きっぱなしも何かなあ、と思いいったん休みました。新学期、試しにお経巻き無しでどれだけもつかなあ、と様子をみていたところ、早速いじられた、と本人から報告が。いじめまでの陰湿さは感じられず男子校特有の猿の戯れ合い程度だったので、もう少し様子見。その後一年ぶりの高熱を出し、そういえば巻いてから熱をだしたことが無かったのに気付き、原因特定はともかく、早速巻くことにしました。
    Q1 季節の変わり目ということもあったでしょうが、心配してまとわり付いた母親(私)の念が病気をひきおこした可能性はあったのでしょうか?
    Q2 間断なく一生お経巻をしていて、何か弊害はありますでしょうか?よろしくお願い致します。

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