言葉というのは用い方によっていろんな力が働くと云います。 たくさんの人がその言葉を認知し通用するほどに大きな力が動くとおもわれます。
姓名判断でも実名と芸名・通称名では運気も変わるとか云いますし・・だとするならば、それが神の名前ならどんな作用をもたらすのかな、と疑問に思いました。
些細なことなのですが、天照大神の読みはアマテラスが一般的ですし私自身ずっとそれで聴き馴染んでいたので当たり前に思っていました。
ただ、最近アマテルという名の神が本来在った太陽(火)の神という話も知るようになり、この二つの名前の違いについて感じていたのですが・・日本の神においてはアマテラスだけが「何か他の対象に向けて働きかける言葉(他動詞)」を名前にしているということに気がつきました。
アマテルは「天(世の中)が照る」だけれどもアマテラスは「天(世の中)を照らす」となります。確認しましたが他の神にも他動詞を用いた神の名はありませんでした。
八百万の神というように日本人はあらゆるものに神聖なものが宿っていると感じてきました。日が昇って空が晴れてありがたいなとか、日が暮れて闇に畏怖し輝き見える月や星に不思議や救いを見たり・・自然の営みをそのままダイレクトに受け取ってきたし今もそうであると思うのです。
その感覚から見つめ直すと、テラス(照らす)という表現には引っかかるというか作為的な感覚を覚えるのです。個人的な感覚ですが、「照らす」がこの世の中に向けてであるならば、どこか不遜な言葉の使い方であるようにも感じます。神様の名前ではありますが、言葉の作用として祀る側の人間がまるで太陽に成り代わって世の中を照らしてやっている・・みたいな風にも働いてしまっているのではと気になりました。
おそらく日本人の感じる神様の印象は自然を通じて地球そのものに重なってるのだろうと感じるのですが、もしその繋がりとなっている名前が操作されているなら、反映される事象にも大きく影響が出ているのではないかと思いました。
神の名前として世界的にその読み方で認知されているということは、気がついていなくてももしかしたらガイア(地球の魂)を損ねることになってはいないでしょうか?
A. 損ねることはないでしょう。それがその民族にとっての神の名前ならどんな名前でも許される。それほどガイアは偏屈ではないww
アマテラスと呼び名を改めた人々はアマテルという呼び名からどういう意図で変更を加えたのでしょうか?
A. 縄文人が言っていた名前を改めたのが弥生人です。どういう意図で?それは人民に対して上から目線で名乗らせたというだけです。
そうした名前の変更はガイアとの繋がりを損ねることにはならないでしょうか?
A. はい、なっていますよ。だから災害も絶えない。これが日本の災害の根源でもあるのです。認めないでしょうがね
質問をありがとうございました
コメント
名前がどんな作用を及ぼすのかについてあまりに考えなさすぎでした。
聞きなれ呼びなれた名前が偽りだったということにも、
それをそのまま受け取っていたことにも、なんともやるせなさを感じます。
やはり奢りが入った言霊ではうまく繋がらなくなってしまうのですね・・・