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医療班: 安楽死、尊厳死について

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Q.
昨年、通信制大学の講義で「死生学」の入門編を受講しました。その中で触れられていた「安楽死、尊厳死」についてシャンバラ的見解を伺ってみたいと思いました。

安楽死には「消極的安楽死」と「積極的安楽死」があり、人工呼吸装置や点滴などを外すことによって結果的に自然死を早める措置をとることを「消極的安楽死」。致死量の薬物を患者に注射するなど、意図的に死をもたらすことを「積極的安楽死」と言うそうです。

日本には過去の判例としてしか基準らしきものは存在しませんが、いくつかの国では安楽死が合法化されているそうです。教科書ではオランダの安楽死の基準が乗っていましたので引用します。
—-
①患者が自殺幇助を自発的・直接的に依頼している
②以来の時点で、患者の精神状態に問題がない
③みずからの生命を絶ちたいという願望が長期間持続している
④(主観的に)耐え難い苦悩が存在する
⑤(客観的に)改善するという妥当な見込みがない
⑥残された治療手段が不確実であるか、単に緩和が目的である。(患者にこの治療を提案したが、患者がそれを拒否した)
⑦自殺を幇助するものは有資格の専門家である
⑧①~⑥に関して、幇助者は第三者のコンサルテーションを依頼した。(あるいは、単にコンサルテーションだけではなく、第三者が患者を診察した)
⑨他者に生ずる可能性のある予防可能な悪影響を避ける
⑩専門家や司法による評価のために、意思決定過程について記録を残しておく
—-引用終わり

Q.
シャンバラ的見解では「安楽死、尊厳死」は「自殺、殺人」に当たるのでしょうか?(一概には言えないとは思いますが)

A.
意外に思うでしょうが、これは自殺、殺人に当たりません

考え方がはっきり決まっています

それは生きたいと願う人間の行動であること
自殺のほとんどは生きたいという願望があって、その上で死があります

だから魂に傷がつきます

いや、言い方を変えましょう

魂に傷がつくほど生きたいのに自分を殺す時自殺と言います

殺人も生きたいという人間を殺すので殺す方も魂に傷がつきます

そこを基準に考えてみてください

Q.
https://gaia-shamballa.xyz/blog/?p=3439
つまり西のシャンバラでは自殺者の人数を把握しています
しかし、日本人の人数が合わない
何故でしょう?
遙かに少ないのです
—-

自殺や殺人について、明確な線引きがあるからこのような表現になるのだと思うのですが、基準を教えていただけますか?(回答不可かも…)

A.
ここから妄想が入ります

日本の鬱の薬には脳神経に刺激を与えて、死にたいという願望を促す副作用があります

全部ではないのですが、強い薬に時としてその作用が働くことがあります

西で振り分けにならなかったのは、完全に死にたいと思って自殺行為に至っている所見が見受けられます

だから自殺者として振り分けられない

魂に傷がついていないからです

Q.


アストラル体の死は一瞬で行います
年を取らないとは言っても、永遠の命とは言っていません
つまり、死ぬ瞬間まで若いままだということです
それは一瞬に消えることです
みんな大体15歳で寿命を告げられます
—-

シャンバラには「安楽死、尊厳死」という概念自体がないのでしょうか?

A.
人はいつまで我慢とわかれば、多少の痛みも耐えられます

むしろ薬を使いながら残りの時間を有効にしようとがんばるでしょう

地球の場合はいつまでかわからないので苦しみが激しくなります

だから、シャンバラでは安楽死などの、特に積極的な尊厳死は無いのです

また、苦しみを緩和する薬や物理療法も発達してるので、その必要はありません
質問をありがとうございました

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