✨シャンバラ への質問は こちら

国旗: チベット・バチカン・カンボジアの国旗

この記事は約5分で読めます。

[画像は全て、こちらのフリー素材ページもしくは、Wikipedia内のパブリックドメインの画像を掲載しています]

チベット

1912年に独立宣言したチベットの国旗。
調べたら日本人の真宗西本願寺派の僧侶でチベット研究家の青木 文教と探検家でチベットの軍事顧問であった矢島保治郎がデザインに関わったらしいとありました。チベットの記号(雪山・唐獅子・日・月)と日本の旭日旗が組み合わさったデザインとあって驚きでした。

雪山獅子旗(せつざんししき)と呼ばれる意匠ですが、雪山を前にして2頭の白い獅子が3つの宝石を支えている図、というのは何を表すのでしょうか?

日本とチベットは何かしら深く関係していたのでしょうか?

雪山獅子旗

A. wikiです

チベットの旗・「雪山獅子旗」(せつざんしし-き)は、1912年にチベットの君主ダライ・ラマ13世が国家の独立を宣言した際、まず軍旗として制定され、のちにチベット政府ガンデンポタンにより国旗としても採用された旗。旗正面の白い雪山の前面で、2頭のスノー・ライオン(唐獅子)が3つの宝石を支えている。

1910年代にチベットに滞在していた日本人チベット研究者・青木文教は自著『祕密之國 西藏遊記』(内外出版、1920年(大正9年)10月19日発行)において、チベット軍の司令官と青木が戯れとして、それまでの軍旗でも使われていたチベットの記号(雪山・唐獅子・日・月)と、大日本帝国陸軍が軍旗として考案・使用していた旭日旗に擬似する意匠(旭日)を組み合わせ、新しく図案を作ったものがたまたま新しい「軍旗」として採用されたと記している。

1947年(昭和22年)、チベット政府は代表派遣団をインド、デリーで行われたアジア会議に送り、ここで自身を独立国家と表明している。そのため、インドは1947年(昭和22年)から1954年(昭和29年)にかけてチベットを独立国家と認識していた。また、この会議にはチベットの旗が持ち込まれたが、これは公的集会におけるチベット旗の最初の出現だった。

中華人民共和国では、雪山獅子旗の掲揚は「チベット独立の意思表示」として厳禁されている。掲揚が発覚した場合は、旗を掲揚した罪で即座に当局に逮捕され、禁固刑などの実刑に処される。日本などではチベット関係のデモ(北京オリンピックの聖火リレー抗議デモなど)や中国へのデモ(2010年尖閣諸島抗議デモなど)で頻繁に使用されている。

A. いまだに日本の力がどこかにあるのかもしれませんね。だからこその迫害なのかもしれません。

チベットといえばダライ・ラマの存在が大きいですよね。この国は日本との友好を大事にし、戦時中連合国からの物資通過を拒否したり、資源がない日本に物資を送ったりしていました。なので戦後は敗戦国扱いを受けています。そんな関係をご存じない人が多いと思います

さて、国旗に出ているアイテムですが。石ではなく経典です。これは経典を燃やされた過去を国旗に刻んだのです。

バチカン

また1929年に制定されたバチカン市国の国旗は、正方形で黄色と白、白地に金と銀の鍵(天国の鍵)が交差し赤い紐で結びつけられた上に法皇の冠が据えられた意匠です。

なんとなく二つの鍵が封印されているようにも見えるのですが・・何を意味しているのでしょうか?

[既出の国旗です]

カンボジア

最後は内戦が長くあったカンボジアの国旗。
アメリカの介入・ベトナム戦争・ポルポト派による恐怖政治を経て元の国旗デザインに戻るまでに色々変遷していました。(https://ja.wikipedia.org/wiki/カンボジアの国旗
内戦時期には国旗上では星印がついたり青色が省かれたり王宮の部分が黄色になったりしてます。

これは暗に支配勢力の変遷も意味していたのでしょうか?

またアンコールワット(王宮)はずっと国旗に使われていますが、確かあの塔の部分は松果体を表すとかって依然どこかで読んだ気がするのですが・・何かの象徴なのでしょうか?

カンボジアの旗

A. wikiです

カンボジアの国旗は、上から青・赤・青が用いられた旗の中央に白いアンコール・ワットを配置した旗である。

現行の国旗は、1993年の王政復古の際に制定されたもので、青は王権を、赤は国家を、白は仏教徒を表している。

現行の国旗の基本的なデザインは、1850年頃から存在している。1948年にフランスの保護国からカンボジア王国が独立すると、全体を1:2:1の比率で横に三分割した、現行の国旗と同じデザインの国旗が制定され、クメール共和国ロン・ノル政権)が登場する1970年10月9日まで用いられた。民主カンプチアポル・ポト政権)やそれを打倒したカンプチア人民共和国も、赤地に黄色のアンコール・ワットというデザインをともに用いた。

アンコール・ワットは、どの時期にも共通して描かれている。そのデザインは、内戦前と現在のカンボジア王国では、五段の上に白い三本の塔を描いている。クメール共和国 (1970-1975) では同じ形のアンコール・ワットが少しスマートに見える。民主カンプチア(ポル・ポト時代1975-1979)では三段の上に金色の塔三本が立っている輪郭のみである。カンボジア人民共和国(ヘン・サムリン時代前期1979-1989)はほぼ同じで、二段の上に五本の塔。カンボジア国(ヘン・サムリン時代後期1989-1993)は五段の上に金色の塔5本で段数、塔数ともに最多である。

A. まず長老は2人。実はこの色だけでもだれかわかる。でもそれは言えません。

制定日は1993年。この国の国旗の変化をみてその変化が何をあらわしているか想像するのもいいかもしれません。何を表現しているのか?そして今何を求めてこの形になったのか。ヒントは勢力争いを表しています。

質問をありがとうございました

コメント

  1. フランソワ より:

    チベット、日本の力があるからこその迫害かもしれないとは・・
    >この国は日本との友好を大事にし、戦時中連合国からの物資通過を拒否したり、資源がない日本に物資を送ったりしていました。なので戦後は敗戦国扱いを受けています。そんな関係をご存じない人が多いと思います
    敗戦国にされるほど日本と協力関係にあったとは知らなかったです。
    迫害の件も含めて何故なのか、気になります。
    宝石はお経だったのですね。これは何と無く判るような。

    カンボジアは長老二人で色で特定できるのですね。
    >今何を求めてこの形になったのか
    勢力争いがヒント?
    じっくり考えたり調べたりするべか・・・

    めくるめく国旗の数々に圧倒されてます。
    解説・編集もこりゃなるほど大変な作業ですね。ありがとうございます。
    読む方も結構気合入れんと・・脳みその引き出し拡張せねばですw
    いろんな国があるのだなと意識を向けることは今後の歌プロなどにも影響あるような気がします。

    回答ありがとうございました&回答作成頑張ってくださいね〜!

タイトルとURLをコピーしました