Q.
震災でお亡くなりになられた方々にご冥福をお祈り申し上げます
質問を宜しくお願い致します3.11の時に、海外に脱出した人、地方に避難した方(いわゆるTVの有名人)が非難を受けました
まず自分が生き残るということが大事ですので
仮にその家が土砂の危険があるなど、危ない場合は逃げる、避難するということは重要だと思います断層付近に原発が建てられ
現段階で日本中が大気汚染されていると
日本の場合、逃げ場はあるのかなと思う時がありますこの部分がいつも分からないので質問です
人間ですから「逃げる、回避する」という発想になる場合もあると思います
ですが、「逃げた」と人に言われ、後悔していた人がいました
逆に場所を変えたことで心がすっきりした(不安がなくなった)家族が喜んだという人もいました
この部分は自分と家族の気持ちが重要であり、人それぞれの生き方であるのでしょうか
A.
不安に耐えられないという人はいるでしょう
それは相当な痛みに耐えられる人と、ちょっとした痛みに耐えられない人の違いです
その個性をどうこうは言えません
本能が「ここにはいてはいけない」というならその心のままに行動することが一番いいし、よく言われているのは不安がっている人を非難させるときのほうが救助は困難だといわれています
つまり救助困難な人が居続けることで全体の救助の妨げになるなら、先に逃げていただいたほうが助かります
不安でも居続けられる人は冷静に受け止められるので簡単にパニックには至りません
なのでよりスムーズに緊急時は避難できるのです
たぶん原発で速攻逃げた人を見たらそんな感じを(すぐにパニックに陥りやすい人)受けるでしょう
だからどうぞ逃げてください
後悔した人は家族にパニックに陥りやすくその流れに乗った人だと思うのです
逃げることは非難されることはないのです
そんな自分の性格を素直に出しているだけですから、恥ずかしがらずに行動してください
あくまでもシャンバラでの分析です
質問をありがとうございました
Q.
かつて縄文人はその地にとどまりその地を物を食べて”受け入れた”と教えて頂きました
目の前の問題と自分自身がどう向き合うのかが重要なのでしょうか
以前「あなたもわたしも完璧じゃない」と習いました
どのように向き合うか、どう選択するか、結果どのように自分自身が(自分の心に)責任をとるのかなのでしょうか
どうぞ宜しくお願い致します
コメント
ベスさん
シャンバラの回答者さま ありがとうございました
私みたいなものがこのような質問をしてすみません・・
でも、去年や一昨年でしたらこの質問出来なかったなあと思いました(安易に質問した自分を責めてました)
質問させて下さいましてありがとうございます
「避難所が辛くてその町から出た。自分が出ることで、隣の人に毛布も食料も渡せる」というツイートを見て
そのような考え方もあるのだなと思いました
家族がもしその地にいたら早く出てほしいと思う
けれど自分だったら動きたくない
そもそも自分の判断は正しいのかなといつも思う時があります
その町を出たいという人がいてもそれを責められないと思ったり
そこにとどまるという人がすごいな、と思ったり
・・・果たして自分は今いる土地に貢献しているのかな?
そもそも、その地に踏ん張ることで私は役に立っている人間なのかなと色々考えてしまいました
>たぶん原発で速攻逃げた人を見たらそんな感じを(すぐにパニックに陥りやすい人)受けるでしょう
>だからどうぞ逃げてください
ああ・・そうなのですね・・
この言葉で救われる人もいるのではないかと思いました
ネットなどで非難の言葉をよく見たのでこのあたりはどうなのだろうとずっと疑問でした
自分に素直に・・が一番なのですね
ふたつ質問したのですが、ふたつ同じことを聞いているというポンコツですみません・・・
縄文人の「受け入れ」精神を学びたかったのですが
「しょうがない」といって日本人は我慢することに慣れていますが
自分の心に素直になって受け入れる
納得するのがいいのかなと思いました
ああ・・もっと物事を広くみれる自分になりたいです
また宜しくお願い致します(礼)
ご回答誠にありがとうございました