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B.シャンバラの意識教育

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シャンバラのBスタッフさま いつも有難うございます。
一度でいいから、会議を覗き見してみたいですw

Q.
会議をする際や議論をする時に
一番大事な部分は何でしょうか?

自分の意見をいかに通すことなのでしょうか

A.
いや、ブログの会議はとにかく楽しむことです
なので、食べながらやります
意見は通るか否かはあまり気にしません
言ってはみます。通ったら楽しいし・・・

Q.
→その場合は反対派の意見をとことん聞いて、彼らが何に危惧しているか、
彼らが何故反対して彼らが思う意見を押し通したいのか見極める?

A.
そんなに堅いことは考えません
2択まで決めてコインで決めます
速いです
多数決はあまりしません
どっちにしろ不満が残るし、コインなら神さまがそうおっしゃるなら仕方ないじゃんって
割り切れるからです
もちろんもっと重要会議ならそうはしませんが、勉強と娯楽のはざまのブログ会議ですから
もっと楽しむためにエネルギーを注ぎたいですよね

Q.
とにかくいい答え、面白い発見をしたい。
それが得られるならば、自分だろうと相手だろうと発案者は誰でもいい
→とにかく自由に出し合い、たとえ変わった意見でも、
自分と違う答えが出てきたことに面白がる?

A.
あ、それそれ
それです

Q.
何が聞きたいのかといいますと
昔から「今は(自分の中で)この答えだけれど、それが正解ではなくて先は分からない。」
という考えが何となくあり、「絶対こうだ!」は無いと思っていました。
ですが、つい数日前、私生活において、
「絶対こう!(私は正しい)」をやりそうになりまして・・・(←言っていることと違うじゃねーか)
(恥)
やばい、やばい、やばい、やってもうた!と
昨日の夜から反省をしていました。
今、冷静になって思うことは、人は人、自分は自分、色々な考えがあっていい、
自分の人生なのだから、後は自己責任でいいのでしょうか?

A.
そうですね。事態が見えないからどういっていいかわかりませんが、根底にみんな同じと思う日本人と、みんな違うという欧米の感覚で言えば、シャンバラはみんな同じ感覚の方が大きいです
だから、時々自分の意見はみんなの意見と思ってしまうこともあります
でもあるときそれが違うと知った時の恥ずかしさはわかります
いいじゃん、ドジ踏んでも
と言いながらみんなで笑い飛ばすところは欧米的かなあ
自己責任を負ったら、とにかく笑い飛ばす(笑)

Q.
シャンバラの世界において、議論上の「否定」や「批判」は、
スパイスみたいなものなのでしょうか?
「おおお、そうきたか?」(わくわく)みたいな感じなのでしょうか
人によっては、その意見に対して「違うよ(私はそう思わない)」と言っているだけなのに
「がーーーーん!」(私そのものが否定された!)と思って怒る人もいます。
(・・・私も時々やってしまうのですが)
否定や批判はどのように受け止められているのでしょうか?
どうぞ宜しくお願いいたします。

A.
我々は青年期に授業で否定をひっくり返して考える教育を受けています
例えば、ある人が戦争をしなければいけないと考える人を否定する
なぜ戦争をしたがるのだろう
と思うまでは皆さんと同じだと思います
しかし、我々の教育では
なぜ戦争がないことが嫌なのかも考えるのです
戦争がないと儲からない、または不利益があるから
なら戦争なく儲けさせるにはどうしたらいいか
戦争がないと困ることが他にあるのか?
でなければ必要性は感じない
・・・・・・・などなど
否定されたら否定の否定を考える
批判を受けたら批判の批判を考える
それに夢中になると怒りは感じません
そして相手を知ろうとする
いかがでしょう?
いい質問をありがとうございました

コメント

  1. より:

    ベスさん
    シャンバラのBスタッフさま ありがとうございました。
    なんか答えにいつも「流れのままに」を感じます。
    心の中をせき止めない方々だなー!と思いました。
    てっきりシャンバラさまは欧米感覚かと思っていました。
    うん!元気が出てきました!
    ありがとうございました。

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