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災害時の信仰心

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まず始めに、自分自身は何かに対する信仰心がなく、宗教というものも根本的に理解できていないと思うので、偏見や失礼な表現があったら申し訳ありません。

Q.宗教を盲信している人は、神様や教祖様に、普段から災害はもちろん嫌なことに遭わないように祈りを捧げていることと思います。ですが実際に災害にあってしまった時は信者の人はどういう行動に出るのでしょうか。

A. 古い日本の宗教では災害の備えができています。特に避難所に当たる神社仏閣の建物はほとんどが耐震構造になっています。宮大工がこぞってその災害に備えた建築技術を持っているのです。だから昔からの宗教ではそういう意味では宗教そのものが役所であり、避難所であり。公民館であり。そして規律を正す警察の役目をしていたのです。

しかし現代の新興宗教ではそれがない。ないのにお布施はとるのです。元々お布施のほとんどは今言った公民館や役所の役目を果たしているから取られても何も言わない。なのに今は何もしないのになぜかお布施という名前でお金を取っている。何を信じているのでしょうね。

今回のコロナでも信者にお金を配るなんて話は聞かない。あれ?あのお金はどこに行ったのでしょうか?やらずぼったぐりですね。信者はどういう行動って?何もしないのに何ができるのでしょうか?祈りだけなら昔の宗教の方がよほど合理的です。

というわけで今の宗教では何もしてくれないし何の指示も出ない。だから何もできません。

 

Q.”災害”に遭うことで、こんなことしている場合じゃない、と洗脳から覚める人もいるだろうし、逆にパニックでより洗脳が深くなる人もいるんだろうなと、二極化するような想像ができました。
これは有事タイプと平事タイプのイメージとも何となく重なります。

有事タイプと平事タイプ、タイプ別で宗教への信仰心の違いってあるのでしょうか。
もしそこに関係があって、災害時の宗教に対する信仰心の変化のパターンもあるのならそれもお聞きしてみたいです。

A. はい、平時タイプは宗教にしがみつきます。祈るだけでしょう。有事タイプはその中でうごこうとしますが組織の構造が古いと前例があるかないかで決めるので動きたくても動くことを許しません。なのでそんな人は離れます。

このコロナになっていまだにネットを使わない宗教があって、あくまでも会合を主にしている宗教があったらまずは有事タイプは見切りをつけるでしょうね。災害時緊急のときは特に集まることはしないでしょう。

信仰心は非常時に役所ではできないことをしてこそいきるものです。役所みたいな宗教は淘汰されます。

 

Q.”災害を起こさないように、祈りを捧げよう”という名目の元、活動している宗教団体を見かけたことがあります。そうして集められた念エネルギーの行方はどこへ向かうのでしょうか。

A. うちもその中に入りますねwwww念エネルギーは未来を変えるために使われます。

もともと寺院やモスクでも人を集めて祈りをささげる場所は天井が高いですよね。あれは集めた念エネルギーをいざという時のために貯めこむためにあります。だから疫病や日照り、水害で多くの犠牲者が出ると祭りを行うのです。

忘れないためもありますが、ほとんど目的をもって人々の念エネルギーを集めて保管するのです。そして災害時や日照りや疫病時にその祈りをするわけです。祈りというよりため込んだエネルギーを吐き出させます。その吐き出す時に誘い水という意味で生贄(動物でもいいのですよ)を捧げるのです。

 

Q.宗教団体のシンボルマークに六芒星や五芒星を見かけることがありますが、これは実際に魔法陣として使われているものも中にはあるのでしょうか。

A. さあ、どうでしょうか?昔からの宗教では使っていますが新興宗教はたぶん意味も分からず飾っているだけのようですが

 

主に新興宗教のイメージに基づいての質問になってしまいましたが、大概世界平和とか幸せを名目に勧誘にこられるので、興味深いテーマだなと思いました!
どうぞよろしくお願いします。

A. かなり辛口ですがじっくり考えて何のために宗教があるのか考えましょう。もちろんマクロだけではない。各家庭で起きる不幸に対しても人は宗教を必要としますが、時にマクロに考えて何のためにこの祭りを行うのか?この祭りに参加するのかを考えてもいいころではないでしょうか?

 

質問をありがとうございました

 

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