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A. 浦島太郎

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Q.
浦島太郎、日本書紀に出てくる浦嶋子
浦嶋は舟に乗って釣りに出たが、捕らえたのは大亀だった。
するとこの大亀はたちまち女人に化け、浦嶋は女人亀に感じるところあってこれを妻としてしまう。
そして二人は海中に入って蓬莱山へ赴き・・
という話なのですが
これは大亀がUFOで、浦嶋子がアブダクションされた話なのでしょうか
(アブダクションという覚えたての単語すいません。これでは言葉使いが悪いでしょうか)

A.
へえ、、、そんなお話があるんですね
日本の文化はある程度調べたつもりでしたが、知らないですね
ベスからは浦島太郎の続きを聞いています。こども浦島次郎が父親から話を聞いて半信半疑でいたら、海岸でカメが声をかけてきて竜宮城に無理やり連れてかれ、帰りに玉手箱をむりやり押し付けられて帰ってきた。父親から絶対に開けてはいけないと聞いていたので自分の寿命になるまで開けなかったけど年をとったらいいだろうとこっそり開けたら干からびた料理が入っていたという話です
カメはUFO、浦島は誘拐されたのでしょうね

Q.
アダムとイブ
①アダムとイブは縄文人で楽園を去ったとは、
争いが起こり、戦いたくないから逃げた
②アダムとイブは爬虫類型の宇宙人に作られたもので、戦いの遺伝子があった。
蛇と呼ばれるものが知恵(メンタル発動)を授けたために追い出された
う~ん・・かすりもしないでしょうか・・
宜しくお願いいたします。

A.
① 縄文人はないです
② おお、いいと思いますよ
うん、ただし聖書への冒涜になるのでここだけのことにしましょう
そういうことだと思います
ぐらいかな・・・
いい質問をありがとうございました

コメント

  1. 霊的自由自在性を失ったアダムとイブとは物質的環境の中に放り出された。
    そしてイチジクの樹の葉で覆って自分の実相を隠してしまったのである。
    そこから彼らの悲惨な「死すべき人生」と「苦しむべき人生」とが始まるのである。
    『創世記』の第1章に、
    「神 そのかたちの如くに人を創り給えり。即ち神のかたちの如くにこれを創り、これを男と女に創り給えり・・・・神 その造りたるすべてのものを見給いけるに甚だ善かりき」と説かれているところに、・・・・・・・・ すべての人間はみな荘厳なる「神の子」の実相の花を開かす時が来るのである。
    あなた達よ、恐れず、憂えず、悲しまずに進み行け、
    必ず神の御業があらわれる。
    その神の御業は、あなた達の実相の中に既にあるのである。
    あなた達が日本人であるならば、あなた達は既に古代から、日本人は自分自身の命を「命(みこと)」とよんでいたではないか。
    泥中にあっても蓮華はすでに咲いているのである。
    ∞⇔∞⇔∞⇔∞∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞⇔∞
     
    わたしには、この神さま(たぶん、地球創造神さん=非人格神さん なのかもしれませんが)の言葉のほうが、信憑性が高いように感じますが、
    いかがでしょうか?
    ありがとうございます。
      みんなが神の子:神の子クリシュナ☆(*^-^*)☆

  2. ■さて、「アダムとイブの失楽園物語」の件ですが、
    『神 真理を告げ給う』(教文社)(137頁~)によれば、神様はこのようにおっしゃっています。
    『創世記』に描かれたる「楽園追放」は象徴的神話というより寓話であって、本当は決して「神」が人間を楽園から追放することはないのである。
    『わたし』は「愛」そのものであるから、未だかつて人間に神罰など与えたことはない。
    旧約聖書の諸処にエホバ神が憤りによって人間たちに艱難を与えたように書かれているところがあるけれども、そのような「預言の書」に出てくるエホバ神は決して『わたし』ではない。
    旧約聖書の諸方に出てくるエホバ神は「宇宙を貫く「心の法則」」を擬人化して預言者がそれを感じて表現したものである。
    『わたし』は「愛の神」であって、決して「神罰の神」ではない。このことをあなたたちは明記すべきである。
    蛇にだまされて、「知識の樹の実」を食したというのは、
    土(物質)に匍匐して生活する「蛇の知恵」すなわち唯物論的世界観及び唯物論的人間観を心に食したということである。
    それを心に食したときに、アダムとイブとは自分自身が光明燦然と光を放つ霊的存在であるという自覚が消えて、後光も何も放たない物質的肉体が自分自身であることを知り、その裸なる肉体の露出が恥ずかしくなってイチジクの樹の葉を綴って肉体を覆ったのである。
    「エホバ神」がアダムとイブとを楽園から追放した──という寓話は、
    「心の法則」に従ってアダムとイブとは楽園の実相界にいながらそのまま、実相の妙楽完全の光景が見えないで、彼らの前から楽園は姿を消したという意味である。
    自己を神通自在の霊的実在と見る自覚を失って、自己を物質に過ぎない肉塊として見たときに、彼らは「エホバ神」すなわち「心の法則」に従って、本来の自由自在性を失ったのである。
    (続きます)

  3. 「アダムとイブ」の失楽園のの物語について。
     
    ■「ラケルタ・ファイル」・・・・あるレプティリアン女性との対話
    http://quasimoto.exblog.jp/11729931/
    によると、
     
    >あなた方のキリスト教の教えは、あなた方の創造に関する我々の役目を誤解しているため、我々は「邪悪な蛇」としてあなた方の書物には描かれている。これは間違っている。あなた方の種は、異星人による遺伝子工学の産物であり、多かれ少なかれ我々はこの加速的進化の過程においては、消極的な訪問者であった。
    >
    >人間の創造は人工のものであり、遺伝子工学によって為された。しかし、それは我々ではなく異星人の種によるものだった。
     
    とレプティリアン自身が説明しています。
     
    従って、ヒューマノイド型地球人類のある種族は、は虫類型レプティリアン以外の異星人の種族の遺伝子操作によって、進化が促進されたのではありませんか?
     
    ■それとは別に、地球人類には、地球創造神のワンネスとなるグループの人間たちが存在するのではありませんか?
    「ヒマラヤ聖者の生活探究」の中で、エミール師が土人形に生命の息を吹きかけて、小さな人型生命体を創り、行動させた後、再び生命の息を引き取って、土人形に戻しましたが、
    エミール師は、こうして人間を創造した者たちは生命の息を引き取ることをしなかったのでこの人間たちは地上を彷徨うことになった旨が記述されています。
     
    ■それとは別に、天界から落下してきたグループの人類がいることを、釈迦牟尼が解説していて、原始仏典に記述されています。
    (続きます) 

  4. より:

    ベスさん
    シャンバラAスタッフさま ありがとうございます。
    >無理やり連れてかれ、帰りに玉手箱をむりやり押し付けられ・・
    無理やりwwwww
    確かに、無理やりだったかもですw
    ああ、いいですね その言い方
    聖書への冒涜・・
    しまったです・・それは考えるべきでした。
    なんだろうと考えるのはいいとしましても
    言われた側はいい気がしませんよね。
    大変失礼いたしました。
    ありがとうございます。

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