エササニのみなさま、今回は地球と地球の人々のために重大なお役目を引き受けてくださり、本当にありがとうございます。
指導を進めるにあたり思慮深いプランを準備していただけているようで、感謝の言葉もございません。
世界中で増え続ける異常気象や天変地異、人間の行いだけが原因ではないかもしれませんが、人間たちのエゴイスティックな活動がその大きな一因にあると聞きます。時間がないとおっしゃられるのも、もっともな状況だと感じております。地球は既に悲鳴を上げているのですね。
人間社会の中で大きな権力を持つ人々は、古代からその権力を維持するために、調和とは逆のベクトルの行いを続けているといいます。
しかし、その権力を持つ人々の中には、単にエゴイスティックな欲望に憑かれている訳ではなく、良かれと思って権力を行使し、人々の生活を苦しいものにし、人々を管理する立場に居続けている人々もいるように思います。
私も子供の頃から、社会生活の中で沢山苦しい経験を繰り返してきました。
全く理想的とは思えない現代社会に対して何の疑問も抱かない人々や、平然と他人や自然を傷付けるような人々に苛立つ日々を過ごしてきました。
しかし、人とのすれ違いというものは、他者が存在する限り、多少の違いはあれど、本質的にいつまでも続くものなのだとも思っています。
仏教の「四苦八苦」という、苦しみの分類についての考えの中に「怨憎会苦」というものがあります。これは、会いたくない人に会わなければいけない苦しみを意味する言葉です。
しかし、会いたくないとはいえ、自分とは異なる感性や考えを持った人から学べることは確かにあり、他者の存在によって成長できるのがこの世なのだと思います。
また「五蘊盛苦」という、心と身体が思うがままにならない苦しみもあります。それ故に憎い人を許すことが出来ず、許したいと思っても許すことがなかなか出来ないという場面にも繰り返し遭遇します。
しかし、このような苦しみに遭遇し、それを乗り越えていく経験こそ、個体性を持って産まれた意味であり、知るべきことのように思うのです。また、自分以外の他者が居るからこそ、触れ合うことが出来ます。
私自身、きっとこれからも、会いたくない人と会うこととなり、思うままにならない自分に苦しめられながら生きていくと思います。それでも、その経験を味わいながら、自分も他者も許していきたいと思います。
傷んだ地球を本当に想っての判断、素晴らしいことと思います。私にはそれは否定できません。
しかし、因果がある限り、たとえ一時的に障害が取り除かれたとしても、同じことを繰り返すものです。
私は甘いかもしれません。時間が無いことは承知のうえで、それでも私は決して諦めず、他者を許し、本当の調和に向かって進んでいきたい所存です。そして、私が大切に思うことは、出来る限り広げていきたいです。
最後に、私自身のためにも、ブッダの言葉を記させていただきます。
“「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれに打ち勝った。彼はわれから強奪した」という思いを抱く人には、怨みはついにやむことがない”
“「等しい」とか「優れている」とか或いは「劣っている」とか考える人、彼はその思いによって論争するであろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人、彼には「等しい」とか「優れている」とか或いは「劣っている」とかいう思いは存在しない”
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