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B. 生きる感覚

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Q.
導かれるようにこのブログにやってきてしまいました。観ては不可ないものや、気づいては不可ないうその連鎖に気づいてしまい、葛藤の深い毎日ですが、私自身が必要な時期に必要なひとやできごとはあらわれる、といつも語っていますので自業自得かもしれませんね。

以下、本ブログの引用です。

>それに名前が付けば、その症状を受けてしまい、実際に悪化させてしまいます
>一番よく言われるのが、母親が心臓病である時にその症状を見て育つとき、何かのきっかけで似た症状が現れるときっと遺伝で出て来たとおもい、まったく同じ症状になるのです
>病名も時には知らない方がいい時もあるかもしれません

私も心臓を患っています。クリティカルなもので、すでに重さには長く自覚的でしたが放置してきました。最近病名も否応なくしりましたが、遺伝性のものです。

☆そこで質問させていただきます。

感じたことは、ただ、その事実を受け入れたいということ。治療に情熱がわきません。浮世のならわしに従って生きることに魅力を感じません。

これは何に由来する感覚なのでしょうか?
ヒントをくださると助かります。

A.
生きることを情熱だと思っているところで引いているのです

なんのためにあなたはそこにいるのか?
なんのためにこうしてブログに1000人にさらそうとしたのか?

私はここにいる

それをあなたはどこかで叫んでいるからではないでしょうか?

そうあなたはそこにいる
ならば何のためにいるのか?

人の人生を変えるためではないでしょうか?
人は死ぬ瞬間までに人の人生を変えられる

例えば老人がなくなる間際に看護師に「いままでありがとう」と言っていきを引き取れば、その看護師は一生それを職業にするでしょう

死ぬ瞬間まで夢を見よう
それが我々の理想です

そこに心臓病や癌などは関係ない
一瞬、一瞬を大切にすれば必ず来るチャンスなのです

当たり前の気持ちがそこにはあるのです

気張らなくていい
無理しなくていい
動けないなら動かなくていい

それでチャンスをものにできるならそれも流れです。従ってください

だから浮世の習わしに従って生きることに魅力がないことも流れだと思ってください

あるとき、ある瞬間にそのチャンスを見つけるでしょう
それまで静かに、静かにしていましょう

我々は見守っています

質問をありがとうございました

 

コメント

  1. アーリー より:

    回答ありがとうございます。
    読者(他者)という感覚が欠落していました。
    すみませんでした。
    離人感というか、最近は、ひとと物や文字、空気、環境が
    すべて等価に感じられます。
    生きることも、そうでないことも。

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