私がかかわる人たちはほとんどがシャンバラのアカデミーで科学者をしている人たちです。
今回の盗作の話でコメントがきました。
こんにちは
私は今回のニュースを聞いて非常に残念なことだと思っています。
その気持ちは、日本の科学研究の将来にどれほどマイナス影響をきたすか左右するデリケートな事件であると認識してほしいと思います。
我々はこのブログで何度もメンタル意識について言及しているのです。
感情的な対応は混乱と低迷を招くと
いかにも真偽の程はいえないかもしれませんが、同じ科学者としてこれから引き継ぐ若者、子供たちにどれほど悪影響か。これは一方的な公開処刑であり、かつて知識のない人間が権利を振りかざす感情的であまりに無知な質問攻めをする世界としか言いようがないからです。
日本のアカデミーはこの程度かと残念でしたがないのです。
我々は彼女が白か黒かを言及しているのではありません。
たとえ黒でも同じ研究をするものがこれほどの事件を、なんのコメントもなく黙って見過ごすことを言及しているのです。この公開処刑をみた若者に科学に対する恐怖を与えたことは遺憾であります。
冷静に考えましょう
たとえば、今回ベスの本を読んでたくさんの人たちが「違和感を感じた」といっていました
そのままパクリの本でしたが、人は手にとる前に感じるものがあったのです。
今回あの雑誌は年間何千もの論文を審査して最後に残った論文です。それまでに多くの論文を読み続けた専門の人間が選ぶのは一人ではないのです。
何度も、何度も確認して通ったとしたら、それこそ選んだ人間の真偽も確かめないといけません。
またこの雑誌は白か黒かで選ばれていないことも知ってかしらずか何も語られてはいません。
あくまでも将来役に立つかもしれない。そんなグレーの論文が対象なのです。
次に盗作をされたという研究チームはどんな人々だったのでしょう。
盗作されるほど今回の研究に似た題材出なければ5分の1の盗作には絶対に違和感がなければなりません。
当然、そのチームは今回の論文の目的にあった何らかの内容でなければならないのです
逆にこの5分の1の文章をもつ盗作された論文は違和感なく読めるものなのでしょうか?
科学者は基本的に自分がつけた名前は論文の端々に名前を入れたがるものです。
つまりその5分の1のなかにどれほどこの研究の名前を入れているか確認できているのでしょうか?
次になぜ科学者は何も言わないのでしょうか
彼女をノーベル賞並の人たちが叱り飛ばせないのはなぜなのでしょうか
同僚が素人の感情的な怒号にいながら何の手出しもできないことは、科学の進歩を語る人々の行動とは思えません。
たぶん日本の科学を目指した子供たちは二つの選択を感じたでしょう
ひとつは科学でない分野に進むこと
もうひとつは日本で科学者になることはやめようと思うことです。
盗作はいけないという教えよりも、レベルが高いともくされた人々の行動に悲壮感を植えつけたに過ぎません。
人は間違える生き物です
しかし避けることもできる
これはアメリカの厚生省にあたる組織の合言葉です。
しかし我々もこの言葉を胸に刻みながら日々努力しています。
間違えたことは個人の問題かもしれません
しかし避けることができなかったのは組織の問題です。
この悲壮感は組織上の問題としてこれからも生かしていただきたいと思います
コメント