Q.
Cチームさま、よろしくお願いします。。
私は、自分や部屋作りを固定化できずにパーティの日を迎えてしまったんですが
★果たして私は存在して、パーティーには参加できていたのでしょうか?
A.
はい、固定化はできなかったので部屋はありますが、できていません
ただパーティーは一応スタッフがお邪魔して招き入れています
自覚があろうがなかろうが連れてくるように指令が行っていたので、抱えて連れてきたと報告があります
2時間後にやっと反応が出てきて会話ができるようになったそうです
Q.
想像と、シャンバラでの自分のコツがまだ分からないのですが★パーティでは肩車をして欲しいとお願いして、結構ご機嫌な気分になってみたんですが・・あの感覚でしょうか?
A.
はい、たぶんその頃ぐらいの会話だと思います
★前日くらいに、部屋から出してもらったとき、思わず女性スタッフさんらしい人に泣きついてしまい、後ろに動物が3頭くらいいたような気がするのですが、、、まったくの気のせいでしょうか?
どうぞ教えて下さい。。。
A.
はい、龍がいて怖がったのでしょう
部屋からの外出は翌日も報告があります
いかがでしょう?
質問を有難うございました
コメント
Cチーム様 ありがとうございました。。
あの動物は龍だったのですね(!)
気が付いたら優しい感じしたので、てっきりイルカかと思っていました。
以前、近くの海にイルカを想像してみたので、来てくれたのかと勘違いしてました。
でも、空中にイルカ?でもシャンバラなら何でもアリなのかな?
と思い、また会いたくて、ろくに部屋も造らず外を歩いたのです。
・・・・・ということは、あの感じで「なりきり妄想」する方角ですね
まだ一人相撲ですが、シャンバラの方に話かけて、リアルにコミュニケーションとれるようにしたいと思います。
ありがとうございました。。。
Q.
”目的のためであっても、汚い手は使わずに、手段を選ぶ”信念を貫く生き方こそ、武士道の精神という内容に、とても納得しました。
①鉄砲がいらないと思うことに対して
これは、平和を経験した日本人のDNAだから、というのは関係するのでしょうか
先人に作って頂いた平和な国に生まれ鉄砲のない体験をしたから、そして教育なのでしょうか
②武士道の精神の内容に深く納得します
納得するのは潜在意識(大いなる自己)が納得しているからでしょうか
(卑怯なことをしてしまうと、罪悪感に見舞われます)
Q.
外国の方が日本を訪れ、日本人の接客マナーの良さや親切さ、町の綺麗さに驚かれるブログをよく目にします。
日本人はそれが当たり前だと思っています。
これは先人から受け継がれている教育のお陰なのでしょうか?(日本人というDNAも関係するのでしょうか)
※日本人がすごいとかそういった質問ではありません。戦後の教育の変更や最近の一部の日本人によるマナーの悪さなど問題もあります。
ただ、もともとある魂としての「当たり前」だと思う心なことなのか、教育かDNAか・・何だろうと疑問に思いました。
どうぞ宜しくお願い致します。
昨日このような本を読みました↓
織田信長が鉄砲を使って連勝していたものの、家臣との軍評会議で次のように語った
「戦いの武器は世につれ変わってきた。古(いにしえ)にあっては弓矢が流行し、続いて刀と槍が使われるようになった。近頃は鉄砲が大流行である。すべてそれなりに利点がある。しかし、戦いで頼れる武器は槍だ。」
そのあと信長は、長槍と短槍のどちらに有利が有利があるのか、という議論を始めた。
そこから鉄砲の有利性よりも、道徳性、武士としての誇りをとり、自ら鉄砲を捨てる流れが始まった。
その後、豊臣秀吉の鉄砲統制→家康もそれに続き、鉄砲を統制した。
しだいに日本人は、使わないだけでなく、見るだけで嫌悪感を抱くようになった→かつて鉄砲大国であったことが忘れ去られた→黒船まで続く
米国の教授「鉄砲を捨てた日本人」
日本は火薬に対する研究と開発を途中でやめ(中略)他の国がかつて経験したことがない、長期にわたる平和な時代を築き上げたのです。
人類はいま核兵器をコントロールしようと努力しているのですから、日本の示してくれた平和的実験は、これを励みとして、全世界が見習うべき模範たるものです。