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次元操作に巻き込まれるもんか!

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誰かの次元操作に飲み込まれずおかしいと気付ける立ち位置はどうしたら見つけられるのでしょうか。
自分のメンタル体を鍛えておかしいと感じる感性を大事にすること…って言われそうですが…。


A.
次元操作とは個人的なミクロと、国家的なマクロの両方で見られます。
今回は国家的なマクロだということで話を進めましょう

ヒットラーなどの次元操作ではおかしいと思う人間も当然ドイツではいたんです。
結構たくさんいました。しかし止められなかった。
マインドコントロールでは考えられない世界がそこにはあったのです。

このブログでは相対的に二つの操作について語られています
マインドコントロールとしての操作と国家的次元操作
マインドコントロール(以降MC)はたとえばニュース解説に何度も何度も流すことでかかる人がいます。それはCMだったり、ドラマのほんの少しのシンボルだったりなんてことは当たり前。
よく言われるのがフリーメーソンのマークが映画「ダビンチコード」や「マトリックス」に何度も何度も出ていることでも有名です。

潜在意識はどこかで理解し、それが間違っていると気づいても潜在意識の中間層では無意識に受け入れることがあるのだと理解するだけでもMCにかかりずらくなります。
あるカルト集団で教祖から離れられる人の特徴は趣味を持っている人だそうです。
逆に趣味を持っていないと、一度かかるMCはなかなか外れない
そう、MCにかかることは別段誰でも起きうることですが、問題はそれを自ら解けるか解けないかのところにあるのです。しかし、集団意識が一度その悪循環に流れると一気に次元操作を悪い方に流してしまうことが起きるから厄介なのです。つまり、外れやすいMCをわざわざかけるのはそのあとに続く次元操作につながるからなのです。

たとえ話です
飛行機がビルに激突したってだけで、なんで即日犯人がわかるのか?犯行声明もないのに・・・
って疑問もなく話は進むとしましょう。
大きなショックで人間はどうしたらいいのか考える余裕がなくなったときが一番それまでのMCが噴出するときなのです。
この時恐ろしいのは一番MCにかかってしまったのが大統領だったとしたら。
かれは頭が真っ白になったでしょう。だって言われていた日取りと違うのですから。

って話があるとしたら、これこそが国家的次元操作のやりどきなのです。
だって次元は人間の想念で作り上げることができるのだから

この次元操作から個人的に脱却する方法はニュースを耳に入れないか、噂話をすべて鵜呑みにしないことです。

このブログに書いたことがありますが
よからぬ極端な噂を流す人がいます。あたかも見てきたように話すから尾びれがどんどん大きくなっていく人たちがいます。そう「彼女この前男と一緒に新宿にいたんだって」とあたかも人に聞いたように言う人がいるのです。あまりにひどいうわさでシャンバラの人に聞いたとき出た答えが的を射ていました

「そうだね、驚くよね。でもその噂を流す人の言葉の最後に一言付け加えるとわかるんだよ。それは「だって、私が同じ立場ならそうするもの」ってね。結局自分がそうすると確信があるから人に話すときは説得力があるんだ。」って

思い込みが実は自分を表現していたから、彼女たちにとってストレス解消になりえるのです。
もしそれが集団で起きたら、起こしたらどうでしょう?

だから一気に戦争にも突入するし、一気に弾圧もあるのです。

それでも自分を維持したければ簡単です。生活を維持すること。メンタル体を鍛えることよりもです。
日ごろからの積み重ねです。毎日ちゃんと生活する。毎日同じ時間に起きる。趣味を持ち、家庭を大切にする。当たり前のようですが、マクロの次元操作にかからない唯一の方法です。そして早期にこれはおかしいと感じることができる位置なのです。

いい質問をありがとうございました

 

コメント

  1. きゃさりん より:

    ベスさん、シャンバラの方々次元操作の立ち位置について回答いただきありがとうございました。
    今日は記憶について質問です。
    観た方も沢山いるのではないかと思いますが、テレビで若年性アルツハイマーの人を取り上げていました。
    段々見た事も聞いた事も物の名前も分からなくなり、最後は自分の妻さえも認識出来なくなっていました。
    何だか人格が崩壊していくようで悲しいような恐いような気持ちになりました。
    アルツハイマーや記憶喪失の人は亡くなった後、魂だけになったら自分の記憶は戻るでしょうか。
    心と身体(脳)の疎通が上手く行かないだけで、記憶が無くなってから体験してきたことは全て記憶のある自分が見ているのかなと思ったりするのですが…。
    記憶を無くしたり時間をかけて重ねた記憶や自分という人格が消えていくというのはどういう学びなんだろうと考えたりします。本人だけでなくそれを受け入れる家族にとっても学びなんだと思いますが…。

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