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C-1 みずがめ座の時代を復習

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Q.
「C-1地球ゲーム」にて
(質問)
2015年は何故、予言のオンパレードなのでしょうか

(回答)
うお座の時代の完全な終わりを意味します
リラの影響も切れ、これからが寛容の時代の始まりです

二極化したエネルギーが同じマナの壺に入れられる、それが本格的になるのです

一見非常に災害などのネガティブな話が蔓延していますが、しかし、二極化というのは逆に互いが見えない時代です

それが互いを理解する時代でもあり、そこに隠し様がない真実を目の当たりにすることも言えるのです

【今回の質問】
『リラ銀河のエネルギーがかかると、全ては二分化される。(社会主義、資本主義、貧富など)1980年にこのエネルギーは終わった。終わったあとというのは、どちらかが消えなくてはならない<本より>』

影響が完全に切れたということなのでしょうか。
(エネルギーは終わっていたけれど、まだ少し残っていた?それとも完全に終わっていたけれど、人間の方にその癖が残っていた?)

A.
後者=完全に終わっていたけれど、人間の方にその癖が残っていたですね

せっかく社会主義が消えたのに、資本主義の中で再び二分化を始めたのでそれもまた消えていくということです

 

Q.
寛容とは⇒自分と異なる意見・宗教を持っていたり、異なる民族の人々に対して一定の理解を示し、許容する態度である。

二極した、正反対のもの同士が、ひとつの壺にぽいっと入れられる所を想像してしまいました。

始めは反発し合うけれど、だんだんにお互いを分かり合っていく時代になると考えていいのでしょうか

そして、その”反発”(ネガテブのエネルギー)こそが災害の要因の一部になるけれど、災害の時こそ手を取り合わなければいけない
そもそもその災害が起こらぬように

または災害という大難を小難にするように、人類は手を取り合わなければいけないと考えていいのでしょうか

A.
よくこういう時「手を取り合う」という表現を皆さんは使いますが、手を取り合うことより、自分のことを120%の力を出してそのバランスを取る方がいいと思うのです

手を取り合うほど余裕はありません
実際に皆さんと手を取り合う気は我々には全くないのです

いままで学んだことをフルに活用して自分で這いあがりなさい
嫌でも小難になります

Q.
「A.みずがめ座の時代」


(質問)
地球の自転は歳差運動により、春分点は毎年わずかに時計回りにずれる。
つまり、2150年周で、星座ひとつ分移動する

牡羊座(約2000年)→うお座(約2000年)※ちょっと前まで経験してた→みずがめ座※1996年~今に至る

ここまで合っていますか?

(回答)
実際はかなりずれますが大方あっています

また星座のことでみずがめ座の時代ということに補足するなら、太陽系は銀河系の中心の周りをまわっています。その中心を12区画分けて銀河連盟が存在しています。

その意味でも銀河系は次の区画に入るのでこの2000年は変革の時代と言われています

「メンタル体発動とこれから」


現在この地球ではうお座の時代の名残として「2匹の魚」という2面性の時代をやっと抜けてみずがめ座の時代に移行しています

みずがめ座の時代は何度も申し上げるように 自己管理、自己分析、自己責任の時代です

【今回の質問】
現在はみずがめ座と教えて頂きました。
石舟斎という人の話を読んでいたのですが

『自分がまだ知らない有益な一つの思想があったら、知っている人に謙虚に学びなさい』
『(人より)知っているからといって自慢げに技を披露して相手を打ち負かすようなことはやってはいけない』
『ただ、自分の成長のみを目的にして、日々人や品格を高めていきなさい』と書いてありました。

Q.
みずがめ座のキーワードは”自己”と捉えていいのでしょうか(復習申し訳ありません)

寛容の反対の言葉は、狭量(人を受け入れる心が狭いこと。度量が狭いこと)です。

違いを認め合う、人様を非難するならば自己を反省する

他人と競争して勝ったところでそれは無意味であり、共存共栄な生きかたがいいと考えていいのでしょうか

どうぞ宜しくお願い致します。

A.
他人の非難同様、自己反省も二の次だと思います

もし競争するなら、昨日の自分に勝つ
周りの人間をいかに利用して、小さな力で最高の成果を上げるかを考え実行する
それに尽きると思います

有事の時と平時の時では思考回路を変えないと、変化についていけません

生き方などというマクロな考えではなく、仕方を変える事でしょう

 

Q.
最終的には寛容なのですが、今の時点では、相手を(背景や歴史)、考え方の違いを理解すること

今まで(戦後)日本はぺこぺこ謝ってきました
それではなく、きちんと議論すること
対等に渡り合えるように、そこはしたたかになること

これを普段の生活に取り入れると
ただ批判、拒否するでなく⇒二極化

相手を認める、話を聞く、自分がどうすればいいか(相手とうまくいくか)考える、相手を巻き込めるよう頭を使う⇒寛容

なのでしょうか

どうぞ宜しくお願い致します。

A.
日本の場合は相手の話を聞きすぎます
物事ある程度で行わないと自滅するでしょう

一瞬で相手の長所と短所を見分け(=分析し)自分にとって都合がいいように変化させ(=管理)それに関してどんな失敗が起きても常に腹をくくることです(=責任)

有事の際はその時間が短いので変化が激しくなります

既にある程度日本人は激変に耐えていきました
あとはその平時感覚の思考をいかに有事感覚に取り戻すかです

それは戦うではなく、闘わずして勝つ方法を常に考える

そんなことを我々は求めています
その流れに対して鷹揚に受け入れることが寛容なのです

いい質問をありがとうございました

 

コメント

  1. より:

    お礼つづき

    >日本の場合は相手の話を聞きすぎます

    聞きすぎちゃう、要求を受け入れちゃう・・ということでしょうか(戦後をみますと納得)
    鷹揚(おうよう):鷹揚の語源は、鷹が空を悠然と飛揚するように、何物も恐れず落ち着いているところから
    ・一瞬で相手の長所と短所を見分け(=分析し)
    ・自分にとって都合がいいように変化させ(=管・理)
    ・それに関してどんな失敗が起きても常に腹をくくることです(=責任)
    三大用語キターーーですね。(テストに出るよ!赤ペンだよ←うそ)
    分析し、どう利用できるか考える
    責任とは、「腹をくくる」ことなのですね!
    頭に叩き込みます。
    と共に、胸のポケットにもいれて、じわじわ噛み砕きたいと思います。
    たいへん勉強になるご回答をありがとうございました。

  2. より:

    ベスさん
    シャンバラのC-1のご回答者さまありがとうございました。

    「抜けたけど、片足が残っていた。また同じヘマをしそうです」と、以前ご回答にありましたが、それがこれなのですね。
    (新情報!)社会主義→資本主義からの癖が抜けておらずのまたもや二分化、だったのですね!

    >手を取り合うほど余裕はありません
    >実際に皆さんと手を取り合う気は我々には全くないのです
    >いままで学んだことをフルに活用して自分で這いあがりなさい
    ↑↑↑
    キタァ━゚+.(○・艸)(艸・●)゚+.━!!
    質問の初期時代ですね、泣いて逃げて、でも戻ってきたのは、ここの部分ですね。
    胸ぐらつかまれて「このチャンスを無駄にするのか!」と。
    本当に勉強できるのは今しかなく、逃げてる場合じゃないよ、質問(勉強)しろと。
    で、噛み砕いて自分に落とし込めと・・。
    そう思いました。
    結局自分で、自分の力で泥の壁を這い上がるしかないのだとその時思いました。
    ③~④は、解決策のない「お花畑」質問かなと、質問した後に反省しました。
    でも、聞かなければ、どの部分が改善すべきか分からないなあ・・・と思いました。
    「手を取り合うこと」これ、なのですね・・!心のポケットに入れます!

    「昨日の自分(おのれ)に勝つ」・・・やはりこれなのですね。
    >周りの人間をいかに利用して、小さな力で最高の成果を上げるかを考え実行する
    ”小さな成果で”がポイントなのですね。(メモメモ)
    だからこそ、”生き方というマクロ”ではなく(時間がかかる・瞬時に対応できない)、”やり方を”変える
    車にたとえるならば、車を別のものに改造はなく、ギアチェンジ(切り替え)なのでしょうか
    (って車を知らない私が書くwあくまでイメージです)

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