予言といえばノストラダムス(もう古いか)。
近年でも巨大地震が来る日が何度も予言されてきています。 身の回りでも「虫の知らせ」ややけにリアルな気になる夢を見たなどはよく聞き知ります。
そうしたことに関連していくつか質問です。
まず、予知と予言という言葉について、
予知=今後起きるであろう出来事についての情報を何らかの形で知ること、
予言=その予知を公に告知または開示すること、と認識しているのですがこれで合っていますでしょうか?
A. 合っています。でも、もう一つ踏み込んで言えるなら、予知=個人的なこと、予言=社会的なこと とも取れますwww
地震や災害あるいは戦争など不測の事態の予言の場合は、予言を知った大勢の人間の「それは嫌だ!」という反応が、回避または事態の軽減(大難を小難に変える)の次元に向かわせる、だから予言は外れるためにある、と伺っています。
予言者として影響力のある人は、かつてはそれなりの予言の数をこなし立証してきた経緯があったろうと思うのです。いくつもの予言が当たって多くの人が注目を集めるようになり、そしてそれに従って予言が外れていく(ように見える)という流れがとても興味深いのですが、 これは予言に反応する人数が増えるに従って次元操作の力も大きくなっていき、悪い知らせ(予言)ほど強く拒絶の次元操作が起きて予言が外れるようになる、という仕組みになるのでしょうか?
これは予言者自身の回避への次元操作能力も関係するのでしょうか?
A. 予言者は次元操作能力は基本持っていないのが通例です。だから比較的予言者は薄幸な人が多い。自分自身の次元操作ができないからです。一方で集団的次元操作を促すことができてもです。
また、例えば関東大震災のイメージが付くとなかなか関東で同じ災害は起こらないのは、おっしゃる通りその予言が非常に多かったおかげで集団的次元操作が可能になったからだと思います。
ただし集団的次元操作は人数が多ければいいというのではなく純粋であることです。お金目当てより災害回避のためにおこす集団的次元操作のほうが純粋に拒否するので影響力があるのです。
最低人数はあります。現在日本では7人いればいいと思われます。
ファティマの予言など、聖母マリアが現れて特定の人物に予言を伝えるというパターンもあります。 この場合は受信した人間自体が主体ではありません。
宇宙人は愛や光やキラキラしたもので騙すことも多いから疑ってかかれ!を肝に命じてはいるのですが、 こうした外部からのメッセージとしての予言の信ぴょう性についてはどのように判断すればいいのでしょうか?
予知や予言も妄想も微妙にかぶるなぁと感じます。 出し渋ったりしてる予言なんか予言になってないじゃないかとも思うけれど、それもそれで存在意義があるんでしょうね。
A. ファティマなどの宇宙人からのメッセージ的な受信報道は簡単です。3年たってその人たちがどのような人生をたどるかで信ぴょう性がわかります。
人は嘘はつけない。嘘をつけば自己破壊が起きる。それがマクロであるほど。ということは3年もするとやれ離婚したとか、やれ人に騙されたとか、の問題が浮上する。あなたも信じるなら3年後がいいかもしれませんwww
あと、出し渋りは事情によりあると思います。特にファティマについては出し渋らないと法皇同様に気を失う人続出になるからです。でも、存在は公表するわけですね。内容によるでしょう。中には出し惜しみもありますがねww
質問をありがとうございました
コメント
確かに!予言はマクロで社会的ですね。
地震に関しての回避の集団次元操作、日本全域で7人でも大丈夫なんだ!
災害回避にはもっと人数が要るのかと思っていました。
条件となる「純粋さ」は今後あらゆる場面で求められてきそうです。
社会的なトップに立つ人でも失神するほどの内容を伝えてきた意味はなんだろうか。受信した羊飼いの子供達3人のうち2人は予言通りに早逝し、残った一人は尼僧となって長寿を全うしたということです。
受信するにも純粋さが求められるということなのかなとも感じました。
ありがとうございました!