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美: 精確さの美/崩しの美(動と静)

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美しさについて考えた時、完成度で測る美と完成度をそらす美とがあるなと感じ、何が異なるのかに興味を持ちました。 (他にもいろんな美の種類があるのでしょうが)

今回はこの二つの美について質問したいと思います。

武道やスポーツでの無駄のない精確な動きは、安定した高度な機能となり、その一連の動きの美しさに目を奪われることは少なくありません。また次元操作や人を操る時に使われる五芒星・六芒星などは精確な形を取るほどに効能もあり、神官はフリーハンドで精確な形を記すと聞いています。 動的要素と精確さは関連しているように思います。 精確性とそれによる安定感(それゆえ周波数も高く保たれ次元操作しやすい)によって動きや作用は補完され遂行されるのではないかとも考えました。

確定された目的を持つ動きや形には、限定して導き出された最適の型や形が付随するように思います。

動(ある行動)に最適の静(安定)の要素が織り込まれる、その調和の絶妙さを目の当たりにした時に、私たちは美を見るのでしょうか?

A. いえいえ、すべてのものには境地があります。セミナーでも時々行いますが、地球を見ながら日本を見下ろす。ミクロとマクロ両方見えるとき人は特に美への感動を感じます。動だけでは半減、静だけでも半減、動と静両方を感じるときに美を感じるのです。

 

武術や神官の技に格好良さを感じるのは、ビシーッと決まった技や「決めポーズ」も大いな要因にあるかと思います。(神官に関しては又聞きでしかないですが)

それらを見てゾクゾク感じる快感も、美を感じてそう反応している・・のでしょうか?

A. これも動と静両方があるから感じることです。決めポーズは静、格闘しているときは動、特に動の最中に静をそれも完ぺきな静を形作ると快感になります。

特に上半身は動、下半身は静、それが安定しているとなおさらでしょう。動体視力が研ぎ澄まされると特に理解できる世界です

 

一方、 日本の美的感覚には崩しの美、とも言える感覚があります。 完璧に整えられた形を敢えて崩す。着物の着付けも粋な人ほど絶妙に着崩すとか、お寺の庭なども掃き清めた上で敢えて落ち葉を少々残すとか、完璧にした上でそれを少し壊した状態に美を見出します。侘び寂びの精神もそれに通じるのではないでしょうか。

動に静をバランスさせるのとは異なり、こちらの場合は、静のバランスを崩して動を見出す、みたいな意図があるのかなと感じました。

美を感じるからには何かしらの意味があると感じるのですが、 こちらに感じる美はどのような仕組みで成り立っているのでしょうか?

A. 物事には型が必要です。型ができていないとどんなに崩しても美しくはなりません。型破りというのも型ができてこそなのです。型が完璧であればこそ崩しても美しい。

ではこれは先ほどの静と動とどんなつながりがあるのか?それはミクロとマクロともに言えることですが、破り方が境地にあると美しい。静でもない動でもないその境の地。それは線で言えば点、面で言えば一本の線、そのバランスと絶妙なタイミングが織りなす美しさは型に頼らない奇跡のような瞬間を垣間見るとき人は美を感じます。葉を残すとは言え人が数枚でも手で置いたら全く美しさを感じないのではないでしょうか?

 

以上です。 質問をひねっているうちに美に対して新たに切り口や視点が見出せてきて面白かったです。言葉足らずですが、どうぞよろしくお願いします。

A. 我々も楽しかったです

質問をありがとうございました

 

 

コメント

  1. フランソワ より:

    >ミクロとマクロ両方見えるとき人は特に美への感動を感じます。動だけでは半減、静だけでも半減、動と静両方を感じるときに美を感じるのです。

    >決めポーズは静、格闘しているときは動、特に動の最中に静をそれも完ぺきな静を形作ると快感になります。

    ものすごく納得です。

    >型破りというのも型ができてこそなのです。型が完璧であればこそ崩しても美しい。
    >ミクロとマクロともに言えることですが、破り方が境地にあると美しい。静でもない動でもないその境の地。それは線で言えば点、面で言えば一本の線、そのバランスと絶妙なタイミングが織りなす美しさは型に頼らない奇跡のような瞬間を垣間見るとき人は美を感じます。

    回答の言葉そのものが美しくて読み惚れました。
    素晴らしい回答をありがとうございました。

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