Q:幽霊
もともと、幽霊を見ることもあった人限定かは分かりませんが、リアルな幽霊を日常的に見るようになると死期が近い…という事はありますか?亡くなる前に「この頃、死んだはずの人達を見る」等と言う人が数人いますので、そんな現象があるのかな?と思っての質問です。
A.
アストラル体はいつもは体の影に隠れて存在し、それを越えて視界に入ると霊感があるといいます
しかし、アストラル体自体は見えてないのではなく、見えているけど自覚がない状態です
しかし感情は反応して、好き嫌いに左右するくらい影響を受けます
さて、おっしゃる死期に近いときは肉体に対してアストラル体が若干位置のずれを生じています
そんなときに通常見えないことが見えるようになります
ただここまでずれる時はすでに死期間際で意識朦朧とした時です
亡くなる前に知り合いが病室に来たという証言でしょう
しかし、今回の場合はそれより夢で見るということだと思います
アストラル体が活発になりアストラル界で希望の映像を作る現象です
「死んだはず」というところで自覚はあります
夢である自覚がないだけです
死の準備は松果体の機能が低下しておきます
いい質問をありがとうございました
コメント
ベスさん、シャンバラのAチームの皆様こんばんは。
幾つか質問させて下さい。
①アガスティアの葉について書かれた本を以前図書館で見かけて少し読んで見たのですが、アガスティアの葉に書かれている事は宇宙図書館にある情報を誰かが写したものなんでしょうか?
②エイズやエボラ出血熱、鳥インフルエンザなど原因不明で死に至る病はどうして発生するのでしょうか(私が原因を知らないだけかもしれませんが)。
細菌兵器だという説はありませんか。
③自分が子供の頃より今の夏はかなり暑い気がします。シャンバラにも季節はありますか?私のイメージだと常春なんですが(^_^;)
くだらない質問ばかりで申し訳ありませんがよろしくお願いします。
Q.
「自己犠牲」について教えて下さい
>たとえば殺人までし犯してしまうと、今度は人に同じことを要求するのです。
>これが集団心理の怖いところです
>戦時中の日本人が息子を戦争に駆り出したのは、
>戦争で息子を亡くした町会の婦人会だと聞きました
「正直な自分」の回で(2014-06-12 18:57:08
)このように教えて頂きました。
昔からの疑問なのですが、例えば昔の聖者は迫害されたり、悲劇的な最後になる方もいます。
(現在伝わっている事だけなので、実際は分かりませんが)
「彼らはどう思ったのだろう?」と思っていました。
何故このような質問をするのかといいますと、
世のため、人のために尽くせみたいな考え方を唱える人は凄いなと思っていた時期がありました。
しかし、自分に置き換えますと、自分が我慢して尽くす場合は、余裕が無くなり
「私がここまでやるのだから、アナタもやりなさいよ」的に、相手にいつか求めてしまうのかなぁと思いました。
ですから、上の話に戻しますと、
「彼らはやりたかったからやったのかな」などと思いました。
自分のやりたいことをやるって気持ちいいですよね
そこに打算も無いですし、自己責任ですから心が自由です。
仮に相手に同じ事を求める、見返りを求める、「ここまでやったのに」と怨む場合は、
もしかしたら、本当に自分がやりたいことではなかったのではないか・・・と自分に問いかけるべきなのでしょうか
自分のやりたいことをやって、たまたま感謝された場合は
「あ、いや、こちらこそありがとうございます(ペコリ)」でいいのかなと最近思うのですが
お考えをお聞かせください。
Q.
Aグループのスタッフさまは、このブログを引き受けたのは挑戦的になったとおっしゃいましたが、やりたかったからやった面もありますでしょうか?
良い意味での攻め姿勢ですが、わくわく部分とかはどうなのでしょうか?
(なんでちょいちょいこちらのこと聞いてくるんだよ!口にダンゴ入れっぞ!でしょうかw)
どうぞ宜しくお願いいたします。