アロムさんから引き継ぎます
土曜までの3日、よろしくお願いします
アロムさんは行っていなかったのですが、専門はシャンバラの軍全般です
連合と違い、皆さんの中に固定化された軍そのままの歴史を経験しています
是非よろしくお願いします
あ、でもこの質問は答えられるので大丈夫です
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再度投稿します。
質問をお願いします。
伊勢神宮には縄文の遺産があり封印が厳重に施され、境内は異様なほどいつも清潔に保たれていると教えていただきました。
これを見ると伊勢神宮は神のいる場所ではなく、ただ縄文の遺産を封印しているためだけの施設のように感じます。
ですが色々な人が昔からここを訪れ何かしらの神聖なものを感じ取っています。
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西行法師が、伊勢神宮について「何事の おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ歌はあまりにも有名です。
西行法師は出家しているお坊さん・・・・・神道と仏教は、日本の歴史のなかで「神仏習合」として折り合いが良かったときもあれば、遠ざけられていた時代もありました。
「死」を「けがれ」と捉えていた時代には、死(死体)に向き合う僧侶は別の場所でお参りするようになっていたのです。神宮の深くに入ることはできない・・・・・とにかく、中でなにが行われているのか、そこにどんな神様がいるのかはわからない、それでもなんだかありがたくて涙が出てしまう、と感じたのです。それから約500年後、松尾芭蕉も、同じような気持ちを歌にしています。
「何の木の花とは知らず匂い哉」
あなたの感じる伊勢神宮 著者:浅見帆帆子 より抜粋
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西行法師や松尾芭蕉だけでなく、私たち一般の人たちもここには何か神聖なものを感じます。
質問①
私たちは伊勢神宮の何に神聖さを感じているのでしょう?心で感じ反応するものは何なのでしょうか?
A.
多分あなたは日本刀を見ても同じ感覚になると思います
研ぎすまされたその刃、神聖な面持ち
人は穢れをはずして、外して、そして残る物に神聖を感じるものです
人もそうでしょう?
邪念を捨てて、捨てて、そして残る阿闍梨の姿に神聖さを感じます
質問②
封印された縄文の遺産は本当に危険なものなのでしょうか?私たちの感じる神聖なものは、この縄文の遺産から発する何かなのでしょうか?
質問は以上です。
よろしくお願いいたします。
A.
穢れを外したすべてに神聖を感じるなら、危険という概念もないと思います
しかし、あまりに神聖で畏れを感じるのも確かです
それを表現できずに危険という言い方にしたのだと思います
質問をありがとうございました
コメント
アレクセイさん、セルゲイさん、初めまして。
よろしくお願いいたします。
軍関係の質問ではないのですが・・、2つ質問があります。
友人のことです。
車を運転していて、十字路交差点で青だったのでそのまま進んだら、左折側の(まだ信号が赤の状態で)他の車が発進してきて、お互いに衝突したそうです。
他の車に乗っていた運転手が『青だったので発進した』と言い張り、だいぶ示談がもめているそうです。
衝突時は友人もあわてていて、その場の目撃者がいるかどうかを確認せず、友人と相手の間で信号の色で争っている状態だそうです。
★ 明らかに相手が嘘を言ってことを運ぼうとしている場合、お経巻きが有効でしょうか?この場合、自分と相手とどちらを巻いたら良いですか?
また、他にも何か有効な方法がありましたら、教えていただけないでしょうか。
また別の質問です。
リアルでの自分の課題とは、日常生活でまさに目の前にあるすべきことだと思うのですが、
★ これを淡々とこなして行くと、次々に新しい課題が現れて飽きないようになっているのでしょうか?
★ どんどん課題をこなすと、新しいステージも早くやってきますか?
よろしくお願いいたします。
研ぎ澄まされたものに神聖さを感じるですか・・・そうだとすると伊勢神宮の神聖さは毎日のご神事を大切にし、徹底して掃除をする伊勢神宮のの神主さんや禰宜さんたちが創っているものなのでしょうか?
なんか、しっくりきません。。
ありがとうございました。