いつもありがとうございます。
ブログを拝見する中で、
深く感動したり、ワクワクしたり、ドキドキしたり。。。
人生観・死生観、いろいろなものを深めています。
つい先日のことです。
祖母がお風呂で溺れかけましたが、すぐに救急搬送され事なきを得ました。
祖母がお風呂で意識を失っているのを発見してくれた娘に、
「どうして見に行こうと思ってくれたの?」と質問したら、
「お母さんが弟に『おばあちゃん、ちょっと見てきて』と声をかけているのを聞いて、私が行ったんだ」と答えたのですが、私にはその記憶が無いので、見えない存在が助けてくれたのかもしれないと心の中で手を合わせました。
94才という高齢で、初めての入院。母が「急変の際には人工呼吸器等の延命を希望します」と主治医に伝えたら、医師は「この年齢での延命は本人にとっては酷です」とおっしゃり、私も自分だったらきっと延命の処置はとってほしくないだろうと思いました。
(母は頑なに延命をのぞんだ為、家族の意見としてそれが通りましたが、幸い急変等もなく回復傾向です)
ここで質問です。
Q1:寿命は決まっているとのことなので、延命の有無にかかわらず、亡くなる時期は同じなのでしょうか。
A. はい、遺伝子は超えられない時間の周波数があります。その時間を過ぎれば嫌でも亡くなります。
生命維持装置を拒否して亡くなる方と胃瘻や人工呼吸器などの処置を受けて生きながらえる方がいて、ずっと疑問に思っていました。
Q2:個人によって死生観は大きく異なります。家族内で延命について意見が割れた場合、もちろんとことん話し合うのは言うまでもありませんが、「明日までに回答するように」と期限をつきつけられた場合に話し合いがまとまらなかった場合、どのようにしたらいいか、アドバイスはありますでしょうか。
以上、よろしくお願いいたします。
A. 一番手間のかかる方法を選ぶと後悔がない。ただし、知識がなくて延命を望む人がいます。つまり老死寸前で延命と称して栄養剤を点滴すると全身が痛むこと、要らない栄養を無理やり入れられることでその苦しみは計り知れません。うめき声を「お爺さん何か言おうとしている」と解釈しますが、ほとんどがあまりの痛みにうめき声をあげているさまは気の毒です。
死に向かい体が準備しているので、それに逆らえばそれなりの苦しみがあることを理解しなければなりません。それでも延命処置をしたければすればいいのですが、はたして感謝しているか疑問が残ります。
延命とは何か?一日でもいいから生き延びること。死ぬのが決まっているならその間際にその苦しみは本当にやるだけのことをしたといえるのか?それは死に向かう人間しか理解できないのかもしれません。そうお母さまもきっとどんなことがあっても延命してほしいと思うから嘆願するのでしょう。苦しいよとだけ教えてください。
質問をありがとうございました
コメント
お忙しい中丁寧なご回答、ありがとうございました。
すとんと腑に落ちました。
何かあってから慌てるのではなく、考える機会を逃さずに、
繰り返し話し合いながら気持ちを整理していきたいと思いました。
ありがとうございました。