ベスさん、シャンバラのスタッフの皆様、リアルスタッフの皆様いつもありがとうございます。
最近、平将門が縄文だということを知りました。平将門伝説が残る土地出身であり、気になることがあるので質問させて下さい。
古くからある家では代々、成田山新勝寺にはお参りに行ってはいけない、行くと将門様に祟られると言われていて、それを今でも守っている家が多くあります。成田山は平将門を調伏するための儀式が行われた場所であり、そのため将門を支持していた人々は祟られると言って参詣することを嫌がりました。
面白い迷信だと聞いていました(一応言われた通りに行かないようにはしていました)が、縄文であるとなると色々事情が違ってくるのではと気になっていきました。
1000年以上も前の話でもあるにも関わらず今にまで伝わる言い伝え、何かあるように思えてきます。
この成田山新勝寺は、もしかして封印か何かがされているのでしょうか。
ただの考えすぎでしたら恥ずかしいですが…。
A. 将門を討つために縄文人を多数ここに生き埋めにした記録がシャンバラにはあります。妄想です。封印というより将門を永年監視するという意味みたいです。
境内マップ – 大本山成田山新勝寺 (naritasan.or.jp)
この池のところです。なので江戸に向けて負のエネルギーがいかないようにあらゆる堂が防御で居並びます。
https://gaia-shamballa.xyz/blog/?p=57812
やはり気になるのは、この首塚。
首塚を移動した日に胴を祀っている茨城の寺院付近を震源とした地震が発生していたという情報があり、偶然にしては凄すぎます。
10月7日には首都圏で最大震度5強の地震が起こりましたが、ふと首塚のことを思い出しました。移設から日数はだいぶ経ってはいますが。
関連性があるなんて通常では考えにくいですが、アロムさんの発言が気になります。移設工事と地震は何かしらの関連はあるのでしょうか。
A. もちろんあります。災害が起きるといわれてこのコロナ禍ですからね。多くの店がつぶれました。災害以外になんといえましょう。地震もそうです。ただ、昔ならこの震度でもかなりの被害があったのでしょうが、今の建築学のおかげでこれくらいで済んだということです。
いじると何かしらの災いが発生してきた首塚。将門の祟りとされていますが、祟りというものは存在するのでしょうか。
A. 祟りというよりマイナスに引き寄せる次元操作の土地ないし祈祷所はあります。そういうところはいじらないほうがいいですね
首塚のあるこの場所はもともと古墳があったようですが、この土地自体に何かあるのではないかと思っています。実際のところはどうなのでしょうか。
もともと江戸は沼地で古墳自体も外部から持ってきたのでしょう。この土地自体に何かあるとは思えません。ただし、そこに首塚を持ってくることで首塚のエネルギーを使って江戸が栄えた可能性はあります。よほどの使い手ですね。
以上、ご回答下さいますようお願いします。
A. 質問をありがとうございました
コメント
平家は古墳時代に海路で渡来してきた、10氏族のうちの最後の縄文系(ヘブライ)だそうです。また日本の姓の大半が、「源平藤橘」に由来します。また西日本中心に平家の落人伝説があります。平家は源氏に敗れ、滅亡したと思われてますが、実は現・天皇家にも藤原と平家の血が脈々と流れ、(北条政子により)滅ぼされたのはむしろ、冷酷な源頼朝の血筋でした.
(「女系図でみる驚きの日本史」 [新潮新書・大塚光 著])。源平はもちろん天皇の血筋。
歴史は常に勝者によって改ざんされるので、(正統な天皇の血につながる)将門、道鏡いずれも悪人の証拠は乏しい。
シャーマンらしい白河天皇の、隠し子・平清盛は、以下の歌に由来して、名づけられました。
『夜泣きすとも、ただもりたてよ末の代に きよくさかふることもこそあれ』
(夜泣きしても忠盛よ、大事に育てよ。後に清く盛えて[=清盛]、繁栄することがあろう)
平成=平清盛 – 清い皿
元号は直接日本の理念を語ります「平らかに成れ」しかし現実は、小泉・安倍により富が盗まれ、身分格差が強まりました。とうとう続くのは「令和=強制的に和となすぞ」という年号。
平和な数百年の世を築いた、徳川家は、本当は松平家=即ち平家の子孫。同じ平家系の信長と共に、日本を統一。
元号を考えてみましょう。元号に「平」は8つ含まれ、「源・藤・橘」は0!
「天平、寛平・承平・康平・仁平・平治・正平・★平成★」
いかに平家が、目立たずに、日本を支えてきたか、お判りでしょうか?