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空爆は必要か?戦争について

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いつもありがとうございます。
課題が「空爆は必要か?」ということですが、戦争を終わらせるなら答えはNoです。

マクロと政治・戦争・交渉といった分野が私は得意でないので、こういった分野についてはミクロな視点に落とし込んで自分なりに考えることしかできないのですが、これまでの私のミクロな視点を通して見てきた中で感じていることは、争い事や揉め事、いがみ合いなどが起こっている時、解決するキッカケになる事象が暴力的なことであったというのはあり得ないです。

たいていそういったことは火に油を注ぐ結果になる。あるいは一旦は収まったように見えても問題は長期化する。どんなに行為を正当化しても、結局解決の糸口にはなり得ないです。

これは私の私見ですが、争い事に根本的な解決というものはなく、たいていそこに時間やお互いの譲歩や妥協と忘却wが織り混ざって、言葉は悪いですがうやむやになるものだと思っています。良く言えばブログにもあった中庸とも言えるのかもしれません。

戦争が終わるということに関しては、幼い頃、第二次世界大戦の日本の敗戦ほど綺麗に終わった戦争はないと教わりました。たいてい負けても続きを別の形でやるものだと。

でも日本は誰からみても続きが出来ないくらい出し尽くして、もうこれ以上はできないと降参して、相手ももうこれ以上はやめてくれ今後も戦争しないでくれとお互いに非戦国を作り上げる意見で一致したので日本はとてもラッキーだったんだと。

敗戦国なのに領地を奪われることもなく、ポツダム宣言から憲法制定まで、敗戦国としてあり得ないくらいの優遇だった。勝戦国といってもいいほど。本当にそんな例は他に無い、それがあって今の日本の平和がある、ありがたいこと、と教わりました。とても印象的でずっと心にありましたが、このブログに出会ってその辺りの話やメンタル発動などの記事を読んで、さらに納得がいってよく思い出しています。

これは戦後生まれた私が簡単に語っていいものではないと承知の上ですが、当時の日本の戦争はみんなが日常、生活を掛けて、それこそ命を懸けて、メンタル発動して、そういう戦争だったのだと思います。少なくとも日本の人々は戦争を終わらせたいと願っていたと思います。

でも、今もずっと形を変えて続いている戦争は一部の軍人と、戦地の人々が犠牲になるばかりで、軍事介入する国の日常は変わらない。だからトップの人達は気付かないのでしょうか?リアルに戦争で人の命が奪われているということが。地権争いであったり、政権、利権、マネーゲームとして行われている部分があるのなら、少なくともそれを動かしているトップの人からすると、それを終わらせることはきっと考えてないのでしょう。だから空爆だって必要と考える。終わらせたいと願う人の数が足りないのでしょうか。

終わった戦争と終わらない戦争、皆が日常を掛けた戦争と一部の人間のみが日常を奪われ一部の人間はゲームとして行う戦争、やり方も終わり方も違うのかもしれません。でも戦争によって人の命が奪われるということは同じ。ミクロな私からすると、どうして人の命を懸けてしかゲームが出来ないの?と思います。マネーならマネーで勝負すればいいのに。どうして軍事介入するの?とも思います。武器が減れば争いも物理的に小さくなるのに、武器を投じてどうしたいの?と。

願わくば、トップの人達が戦争を終わらせることを心から考えるようになってほしいです。

えっと、質問形式になりませんでした…。
あえて質問するなら、

Q.トップの人達が戦争を終わらせることを考えてくれるようになるきっかけはないものでしょうか?

結局誰がトップになっても、トップに行くと色んなしがらみで考えがそうなってしまうのかなとかそういう人がトップになる仕組みになってるのかなとか思ってしまいますが、何とか新生地球へ、一石が投じられることを願います。

A. 日本が戦争を続けなかった理由の中に300年続いた江戸時代があるからだと思っています。「そこ?」といわれそうですがwww

江戸時代に日本人の遺伝子に戦争をする因子が薄まっていると思うのです。または遺伝子にその因子が少ないのです。

考えてみてください、中東戦争から考えたら中東では祖父の時代から戦争をしていることになる。戦争をやめるなんてことは念頭にもないのでしょう。常に戦っている。彼らを説得しなければなりません。

いわば遺伝子の闘いです。この構造を理解すると簡単に解決策が講じられる。交渉とはそんなゲームです。

質問をありがとうございました

 

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