平安時代ごろまでは日本では勾玉を首や頭などに飾っていたと言います。
以前の記事https://gaia-shamballa.xyz/blog/?p=23691 で 日本で首飾りが広がらなかった原因として、縄文(人・文化)の排斥や封印と関連する、とありました。 金や玉などの鉱物を身につけるということは、おそらく自然の有機電気との繋がりを深める作用もあるのかと思います。
石などを用いた装飾品文化の歴史が世界中で他の国ではあるのに、日本だけは平安期から明治まで全く皆無というのは、考えたら確かに奇妙です。なぜ朝廷の人間まで止めてしまったのか。
石にある種の呪術的な作用があるのなら、貴族だけの特権として身につけても良かったろうと思うのですが、 世界の他の地域の人間が活用していたのに、平安期以降の権力者たちには自然からの力を活用する能力がなかったのでしょうか?
それとも、そこまで徹底して排除しなければならないほどに縄文的な作用を恐れたということですか?
A. 日本の独特な文化ですね。首に掲げるのはせいぜい僧が数珠をかけるくらいだったと。石の効用にはチャクラ安定があります。その必要性がなかったのとなぜか宝石に関心がなかったのもあります。金もとれたならインカのような装飾品になってもおかしくない。そればかりかイヤリング、指輪の文化も定着いませんでした。最近やっと広まっていますが実はここ100年ほどの歴史でしかない。特に装飾品で代々子孫まで持ち続けるものがない。たまに見かけるのはかんざしくらいですね。
いやあ・・・調べたけどわからなかったのですよ。現在は広く浸透していますが、ここまで採掘技術もあり、珊瑚なども豊富な国がなぜ千年単位で装飾文化が消えたのか。調べてみますね。何かわかったらお知らせします。
6世紀ごろには一極集中で出雲が全国の玉造りを担っていたそうです。そして古墳時代終焉とともに一旦終息するものの、奈良時代に再び造られ出しその後も天皇には定期的に贈られ、宮中祭祀に用いられ続けたようです。 権力者側は縄文を排斥したものの、その力を借りなければ成り立たなかったように感じますし、逆にいうとそれほど縄文人の持つ技術や能力は特異だったのかとも感じます。
縄文人は玉や鉄など鉱物系、つまり大地との関わりが強い人たちだったのかと思うのですが、権力者たちは極秘にして色々な形でその力を使っていたのでは、と思い以下の質問です。
刀剣をテーマにした漫画にこの間からはまっているのですが、その中で日本刀の付属器具の中で一番重要な役目を持つ部材を「ハバキ」と呼ぶのを知りました。金ヘんに祖あるいは元と書いてハバキと読むそうです。これを見たときすぐにアラハバキを連想したのですが・・ 刀剣の製造も縄文の技術が使われていたと聞いています。
のちにこれも取って代わられたのかもしれませんが、言霊として刀身を保護するための要の部材に縄文にちなむ言葉を使ったのかな、と勘ぐってしまいました。 実際、関連しているのでしょうか?
A. あ、これは関係しています。鎺と書きます。まあ、刀剣の技術もさることながらこの柄の技術も独特で優秀なのです。つまり一旦排除した民族でも戦などで必要になり呼び寄せたというのが本音でしょう。だからアラは鉄の古語ですから縄文人たちは敢えてこの名前を使ったのだと思います。
また、平安時代の宮中で宮廷の土地を守護する座摩神(いかすりのかみ)を祀っていました。その五柱の神の中にアスハ(阿須波)神とハヒキ(波比祈)神という古事記のみに記載される正体不明の神があります。アスハは基盤を、ハヒキは境界を指す言葉らしく、上賀茂神社では、前庭は波比岐神、宮所と敷地は阿須波神が守護しているとなっています(現在も)。 地の神ですし、アスハ・ハヒキ両神合わせるとアラハバキに似た韻になるような気もします。
この神々も縄文の畏怖と活用の反映なのでしょうか?
A. まず古事記は弥生人が歴史を塗り替えるために作ったものです。なのでこの文献に信ぴょう性があるか疑問です。特に賀茂・加茂族は弥生人の代表格。正体不明の神という意味では消すに消せない理由もあるのでしょうが、残念ながら3世紀以前の歴史を学びたければこれらの出どころから探るのは遠回りになるのでお勧めできません。たぶん混乱するだけでしょう。
名前も書き替えの連続で戦後かなりたっても縄文系の神社の名前変更は続いています。それほど役に立ちません。できれば九州ないし東北などの神社を調べたほうがいいでしょう。神々の系図などは関西付近では資料ごとにめちゃくちゃですが九州・東北は遠距離同士なのに全体的に一致するのがなぜか考えましょう。畏怖の反映だけを見るならそれもいいが、名前だけではどうしようもないこともあります。
実に面白かったです。
質問をありがとうございました
コメント
なぜ日本で装身具が途絶えていたのかは明らかになっていないのですね。
先日国立民族学博物館で開催されていた「ビーズ展」に行ってきました。
石や鉄や木、種子、貝殻、昆虫、動物(人間も含む)の牙や歯や骨、卵殻など様々なものをつなぎ合わせて首や手や足首に飾る文化が世界各地にはありました。日本からはアイヌの立派な玉飾りが充実していて、あとは島根の黒サンゴ、三重の養殖真珠は近年のもの、熊本、鹿児島、沖縄のものが少々見られました。古墳期には島根の花仙山で採れた石が北海道から九州まで供給されていたと説明するコーナーもありました。ただなぜ玉石を使った首飾り等が飛鳥時代に姿を消したのかについてはやはりわかっていないそうです。
こうした面での日本文化の特殊性を今まで特に不思議に思ってこなかったことも不思議です。石でチャクラを安定させる必要があまりなかったのは縄文人弥生人ともにだったのだろうか。色々気になりますね。
アラは鉄の古語・・鎺は字自体で”鉱脈系の親分”を体現してますね。
「アラハバキ」って最初は呪文のような響きにしか聞こえませんでしたが、ちゃんと意味を持つ言葉なのですね。
神に関する資料は関西付近は弥生人の支配地域の中枢だったから改ざんと隠蔽工作だらけなのでしょうか。
東北と九州ですね。コツコツ掘り出していきます。
この機会にまとめて質問できてよかったです。
ありがとうございました。
フランソワさん、
そういえば『東北と九州』は何故か地震が多いですが···あえて守られてないないのかな··って不思議です。
勉強させて頂いてます。
ありがとうございます。
東北と九州では縄文系は大量虐殺されてきたと聞いています。
ボスが言うには自分たちに返ってきているのだと。
支配者層だけの責任ではないんですね(-“”-;)
それで貴重な神社とか被害あったら何だか二次被害のような(汗)
それでもって支配者は、耐震設備バッチリな安心な所にお住まいになられているのですね。
(チッ··←思わず舌打ちとかしてみました)
コメントでまた勉強できたw
ありがとうございます。